叉凪(現:シロ)

ありきたりな展開

携帯電話を耳に押しつけて、その先でプルプルいっているのを紙の束を片手に聞いている。 かかっているはずの電話のプルプルという音が鳴り止むことはない。 諦めて切ろうかと耳から離しかけたその瞬間に音が止んだことに気づき、慌てて再び耳に押しつけた。
「あ、安藤さん!あたしで」
『ただいま忙しくて電話に出ることができません。 ご用の方はピーという着信音の後にメッセージをどうぞ。』
「・・・・・。」
電話越しに聞こえてきた彼女の声とは似ても似つかない太い男の声で発せられた言葉に、 思わず携帯を持つ手が固まった。 しかしすぐさま通話を切るとその場で小さく溜息をついて、 持っていた紙の束をすぐ横にあったテーブルに放り投げた。
「仕方ない。ファックスで送るか。」
もう一度溜息を吐いて、先ほど放り投げた紙をかき集めて ファックスのある部屋に行くべくドアへと手をかけた。

   * * *

「・・・ん・・」
カーテンから漏れる太陽の光を閉じた瞼の上から感じ、加奈は一度目をギュッと閉じてからゆっくりと開いた。
最初に目に入ったのは真っ白な天井。
それから強い日差しを遠ざけるように体を横に捻り、完全に開くことのなかった目が段々と閉じていく。 ふと視界に入った可愛らしいパステルカラーの時計が気になり、普段より数十倍は重く感じる手を伸ばした。 時計を掴んで引き寄せて横になった頭に合うように時計も回転させて、 その針がいつも以上に進んでいることに目が覚めた。
「もうこんな時間!?遅刻しちゃうっ」
慌ててベッドから起き上がり、転げ落ちるようにクローゼットへと向かった。

制服に着替えてリビングに下りて来てみればすでに父の姿はなく、台所からエプロンをした笑顔の母が顔を出した。
「あら加奈ちゃん、今起きたの。」
「お母さんっなんで起こしてくれなかったの!?」
「あらあら。」
慌てた様子で駆け込んできた娘の姿を微笑ましそうに笑う母から差し出された皿には こんがりと焼けた食パンにほどよくマーガリンが塗ってあった。 それを片手で掴むと無造作に自分の口へと突っ込み、回れ右をして玄関へと走った。 後ろから車に気をつけてねという母の声が聞こえて返事をするが、 口を塞ぐパンのせいでうまく音にはなってくれなかった。 使いこまれて少し皺が目立つ学生鞄の片紐だけを肩に引っ掛けるように持ち、 玄関に出しっぱなしのローファーをこれまた引っ掛けるように履いてドアに手を掛けた。
「いってきまーす!」

走らないと間に合わない時間のためひたすら走る。
パンを銜えてきいたはいいが、ずっと走っていては口の中で咀嚼することも、飲み込むタイミングですらない。 しかもパンを銜えて走る女子学生なんて奇妙な姿を興味深そうに、 または微笑ましそうに見てくる視線に学生のものはない。

校舎が目に入ってきて、あとここを曲がったら正門だというところで気を抜いたのかもしれない。
まだ予鈴は鳴っていない。間に合ったという安心感が加奈を包んだ。 ラストスパートといった感じで角を曲がると同時に走るスピードを上げた加奈の目に入ったのは、 同じ色のブレザーを着た後姿だった。 すぐ目前に迫った背中に急に止まることもできず、両手を前に突き出す形で走りながら加奈は大声を上げた。
「わわわっっ避けてー!」
「は?」
しかし声を上げたのは逆効果だったかもしれない。 いきなり背後で切羽詰った悲鳴が聞こえてきたら誰だって振り返るだろう。 目の前の背中の彼も世間の常識に外れた人ではなかったようで、立ち止まって振り返った。
「きゃぁっ」
「うわっ」
ぶつかった衝撃でお互い後方へと倒れこんでしまった。 いたたたと打ち付けたお尻をさすりながら目の前のぶつかった相手へと目を向けた。
見たことのない男子だ。
ゆっくりと立ち上がるとズボンを二、三度はらってこちらに目を向けた。
「おい、大丈夫か?」
「へ?」
「だから、大丈夫かって」
「あ、あぁ・・・うん」
親切にも手を差し出してきた男子に呆気に取られて茫然としてしまった。 それを不思議に思ったのか首を傾げていたのがなんだかおかしくて、加奈の口元に笑みが浮かんだ。
しかしそれも耳に入ってきた鐘の音で凍りついた。
「あぁっ!遅刻っっ」
「ちょ、お前!」
慌てて立ち上がって放り出されていた鞄を引っつかむと、男子のことも気に留めずに走り出した。 後ろで何か言っているようなきもするが、そんなこと関係ない。 1年と8ヶ月、今の今まで必死に保ってきた皆勤を無駄にする気はない。

茫然と走り去っていく加奈を見送った男子はふと視界に入ったものへと目を向けた。 それは残りわずかとなった食べかけの食パンだった。

   * * *

プルルルル、プルルルル
携帯を引っつかんで開いてみると、それは先ほどは繋がらなかった相手からだった。
急いで通話ボタンを押して携帯を耳に押し付けた。
「もしもーし。」
『ちょっと。何よ、あれ。』
「『あれ』?」
ふとなんだろうと考えてみて、そして先ほど送ったファックスのことを思い出す。 そういえば送ったんだっけ、 と小さく呟くと携帯の向こうからあぁ?と低い声が響いた。
「ごめんごめん。原稿、途中だけど見てもらおうと思って。」
『・・・・読んだわ。それでなんなのよ、あれは。』
「・・・・・。」
電話越しからでもわかる低いドスの利いた声に自然と腰が引けてしまう。 やっぱりまずかったかなと思うが最早手遅れ。 諦めて小さく溜息をつくと長話になるだろうと椅子へと腰を下ろした。
「あのね、ありきたりな話を書きたかったの。」
『でしょうね。じゃなきゃあんなに予想通りの展開にはならないもの。 一応聞くけど、あの後の展開は?』
「・・・男の子は加奈のクラスの転校生で、」
『もういいわ。』
頭が痛くなっちゃう、と電話越しでもわかるくらい大きな溜息を吐かれた。 話の展開を安藤さんがわかったように、私にもこの後の展開がわかってしまうのが酷くおかしい。
『まず、加奈が落としていくのがパンって何よ。普通は生徒手帳でしょ!?』
「うっ・・」
『それにベタな恋愛小説に皆勤って何よ!色気もへったくれもないわね。』
「それはっ」
『大体男子の人物像が曖昧すぎるわ。 優しい男なのか、小生意気系なのか、はっきりしなさいよ!』
「・・・・じゃあ小生意気だけど優しい男ってことで、」
『曖昧だわっ』
電話越しだから実際目の前にいるわけではないのに、この触れたら絶対熱さを感じるであろう熱意はなんなんだ。

安藤の言いたいようにさせておくと軽く1時間は止まらないであろう批評は、今日に限っては数十分で止まった。 珍しいと思い携帯を耳に押し付け次の言葉をじっと待った。

『書き直してこい。』
「・・・・はい。」


end

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