梔子いろは

「春色嫌悪」


春なんて、昔から大嫌いだったのよ。


色が付いていたならピンクであったろう、私の横を通り過ぎて行った風は、前を歩く女子高生の短いスカートを巻き上げて何食わぬ顔して去って行った。所謂、春特有のつむじ風だ。まだ三月といっても寒いこの廃れた小さな町は、喧騒など一切ないはずなのだが、でも今日は特別違っていて、先程この町唯一の高校の卒業式が行われたばかりである。成程、高校生たちが通りいっぱいに広がって写真など撮っていたのも頷けた。卒業したらみな都会に出て行ってしまうので、今のうちに記念を作っておきたいのだろう。私も三年前まではあの学校に通っていたし、同じことをやった覚えがある。そんなつい最近の思い出を思い出して、私は自然と苦い表情になるのを感じた。高校時代はそれなりに楽しかったが、この「春」という季節だけにはどうし   ても親しみが持てなかった。普通の人ならば浮かれ歩く季節なのだが、私としては「春」なんてなくなってしまえばいいと思うくらいに毛嫌いしていた。特にこの高校の「春」は死んでももう一度経験したくはない。現職フリーライターに就いている私の所に、「春」について何かショートストーリーを書いてください、なんて仕事が回ってこなければ、この季節に学校には近寄りたくなかったそれほどまでに、私の高校時代の「春」は良い思い出ではなかったのだ。
「…春なんて、なくなればいいのよ。」
「あら、どうしてです?」
 独り言で零した言葉に返事が返ってきて、私は死ぬほど驚いた。謎の声がした方を見ると、ここの高校の制服を着た一人の少女が立っていた。頭の右上に黄色い熊のボンボンで一つに髪を結っていて、顔立ちは少々幼いくらい。だが言葉は驚くほど丁寧で、そこにある種のギャップが感じられた。小説か何かに出したら、一人歩きをし始めそうなキャラクターである。
「私は春、大好きですけれど。」
 少女はにっこり笑ってこう言った。その笑顔に若干の親しみを持ち、でもその台詞には共感を持てないまま、私は逆にその少女に尋ねてみることにした。
「どうしてあなたは春が好きなの?夏も秋も冬もあるじゃない?」
「ふふ、春ってなんかいいじゃないですか。私は春っていうだけで、ウキウキした気分になっちゃいますよ。」
その答えに、私は存外がっかりした。春が大好き、なんて言うから、どんな特別な理由があるのかと思いきや、若者らしいというか、感覚的な、曖昧な理由でしかなかったからだ。
「私は、そんな気分にはならないわ。だから春が嫌い。」
「じゃあ、どうして貴女は春が嫌いなんですか?」
 春はこんなに美しいのに、と続いたその言葉に、私は少しむっとしてしまう。春が美しいだって?冗談じゃない!どこがそうなんだか!
「春にはいい思い出は一つもないの。だから嫌いよ。」
 苦虫を噛み潰した表情をしているだろう私の顔を覗き込んで、少女は不思議そうな声音でこう言った。
「いい思い出がなくて春が嫌いなら、これから作ればいいじゃないですか!」
「何、言ってるのよ。」
「私が付き合ってあげますから、行きましょう!」
「あ、ちょっと!」
 この子はどうやら全く人の話を聞かないタイプらしい。人の腕を引っ張って無理やり道を走って行く。息切れしながら、急に思った。この少女は一体何者なのか、と。時刻は夕方を回っていた。夕日は落ちかけていて、アスファルトを紅橙に染めている。そんな中連れてこられたのは、近所の公園だった。私はこの公園をよく知っている。小さな頃からよく遊んでいた場所で、尚且つこの街で一番嫌いな場所だからだ。
「ここは…。」
「知ってます?ここ、夕日が一番よく見える場所なんですよ。私、ここ大好きで。」
あぁよく知ってるさ、だってこの場所は私が知っていて三年前のあの日に選んだ場所だったんだから。
「この場所から見える夕日は、嫌い。」
 あの時言われた言葉がよみがえる。
『ごめん、俺なんかより、もっと相応しい人を見つけて。』
 大好きだったクラスメイトに告白して、振られたあの記憶は私の苦い思い出だ。
「浦(うら)海(み)優(ゆ)希人(きと)に振られた場所だからですか?」
「な、どうして貴方がそれを…。」
「申し遅れました。私、浦海桃花と申します。優希人の妹です。」
 浦海優希人とは、私が三年前に告白し振られた男の事だ。
 年の近い妹がいるとは聞いたことはあったが、まさかこんな所で会うとは.苦い思い出は延長しているようだ。
「優希人から聞いたのね。馬鹿な女のこと。」
「えぇ聞きました。大好きだったという女性のことを。貴方が竜樹(たつき)紫里(ゆかり)さん、ですよね?」
 彼女は今何と言ったのだろう。竜樹紫里は確かに私の名前だ。彼が、私がずっと片思いしてきた彼が私の事が好きだったって?
「下手な嘘は吐かないで。好きだったというなら、何で私が告白したときに断ったの?あの時私がどれだけつらい思いをしたか…」
「兄は、病持ちでした。あの三年前の卒業式の二週間後、亡くなったんです。貴方の告白を断ったのは、もう自分に時間がないからと分かっていたから。傷つけたくないと思っていたから。それほどまでに、兄は貴方のことを愛していました。」
「そ…んな…。」
 口からうまく言葉が出てこない。彼が死んだ?病気で?私を傷つけないために嘘をついて。優しい彼のことだ、そんな自分に後悔したに違いない。それを私は逆恨みのように恨んで、何をやっていたのだろう。
「竜樹紫里さん、どうか兄の所に挨拶をしに来て頂けないでしょうか?貴方に、手を合わせて欲しいんです。」
 私は少しの間逡巡して、小さくこくりと頷いた。今の気持ちと、昔の気持ちの両方を伝えよう。
「ありがとうございます、私の家、こっちです。」
「あっ、あの!」
「?はい?なんでしょう?」
 また少し迷って、私は素直にこう言うことにした。
「機会を与えてくれて、ありがとう。」
 春のこと、ちょっとだけ好きになったわ。いい思い出ができた。真実を知れたから。
 すると彼女、桃花さんはふんわり笑って、
「こちらこそです。貴方に、知ってもらえて良かった。」
 彼にわずかに似た笑顔を零して、ゆったりと私の前を歩いて行く。こんな立派な妹さんがいたんだね、優希人には。本人の前で言ったら、照れてメガネを押し上げるだろう、そんな姿を浮かばせて、私はウキウキした気分になった。彼に会えるまで、もう少しだ。

最終的には君を騙すことになってしまったけど、俺は後悔していない。俺も君も傷ついただろうけど、それはお互いに必要なことだったから。君を守れたのなら、将来を救うことができたのなら、この身に合わない嘘を吐いた甲斐があったというものだ。守るための嘘なら、何度だって吐こう。なぜなら俺は。
 《二年後。》
「竜樹先生、今回の作品は「春」と「嘘」がテーマだということですが、先生の思い出などが反映されているのでしょうか?」
「えぇ、この小説には特に思い入れがありまして。私の初恋の話にちょっとつけ足したりなんかして。やっぱり思い出は色褪せずに残しておきたいものでしょう?」
「まったくです。ところで先生、作中にもよく出てくる「嘘」ですが、嘘つきな男性と誠実な男性とではどちらを選びます?」
「もちろん誠実な方ですわ。嘘吐きはきらいです、ふふっ。でも、」
「でも?」
「守るための嘘なら、喜んで吐かれましょう。」
「宣伝も上手いこと加えられましたね…。では季節の中ではやはり春がお好きなんですか?」
「春は…大嫌いです、昔から。でも、とてもいい思い出がありますわ。」
「そうですか、ありがとうございました。今をときめく女流作家・竜樹紫里先生でした。みなさん、竜樹先生にもう一度大きな拍手をお願いします。」


私はあなたが守ってくれた未来を歩んでいることができているかな?あなたに恥じないように生きているのかな?もう私は引きずらない。貴方がついててくれるから。今の私は、貴方の昔吐いた嘘に守られているんだよ。だから最後に言わせてください。

「今も昔もずっと変わらず、大好きです。」

                     《end》

嘘で塗り固められた後書き。
本編の良さ(無いに等しいけど)をまるで駄目にしそうな後書きの時間です。初めての方は初めまして、何度目かの方はお久しぶりです、梔子です。ページ数をなるべく減らそうと頑張った結果、怒涛の展開になりました、しょぼん。微妙に含めたアレに気づいた方もいらっしゃるかもしれませんが、そこはスルーの方向で!桃花ちゃんはもうちょっと活躍させてあげたかった…。あんなにいい子を書いたのは初めてかもしれません(笑)
紫里さんは思ったより一人歩きしたキャラクター。最初はこんな方じゃありませんでしたが、いい方向に動いてくれたので満足!優希人さんは表現にはありませんが、かーなーり、かっこいいほうです。十人の女の子がいたら、十人ともが放っておかないようなそんな優男。でも本命は紫里さんっていう。
こんなキャラクターたちが動き回った「春色嫌悪」、どうだったでしょう?怖いので、答えは聞きたくありませんが…(おいっ
では、こんな拙い文章を読んでいただき、ありがとうございました!
                2008.春 梔子いろは

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