梔子いろは

黄金の夢

 美しく黄金に輝く彼女のブローチが、冬の小さな光を受けてキラキラと輝いていた。蝶の形を模ったそれは、今にも飛び回りそうなほど精巧に作ってある。お嬢様である彼女には不思議とそれが厭味にならなかった。これほど金色が似合う人物もいないだろう。赤と黒のチェックのマフラーにとまる蝶は誇らしげに存在を主張していた。それに手持ちの肉まんを近づけると、冷気と暖気の相反で白く光を濁らせる。そんな俺の些細な悪戯に彼女は気がつくと、きりりとした眉を顰めてこちらを睨んでくる。金色の睫毛が縁取るスカイブルーの瞳が不機嫌そうだった。
「妾のお気に入りになにをする無礼者。」
「それはすまねぇなっと。ほら、お前も食え。うまいぞ」
 コンビニの紙袋から肉まんを一つ取り出して彼女に渡す。
彼女は暫く不思議そうにそれを見つめていたが、ぺらりと付いていた紙を剥がすと意を決して、といった感じで口に運んだ。途端、熱いと叫んで舌をはふはふとする。いつもには見られない余裕のない彼女の顔が珍しかった。
「ばっ何を笑っておる! 失礼な奴だ! 親の顔が見てみたい。」
「親もこんなんだから仕方ねぇだろ。むしろ親父の方が始末に負えないから困ってんだ。」
 父の血を色濃く受け継いだ青年はおかしそうに笑う。
その父の旧知の知り合いである彼女は「嫌な親子よのぅ」と嘆いて、外気で冷めた肉まんにまた齧り付いた。十分に冷めていたのか今度は熱がらない。耳のすぐ側をさらりと流れる金糸が目にとまる。何を思ったか青年は、両側に垂れるそれをぐいと思いっ切り引っ張った。
「あ痛!! こ…この、いい度胸だなこの野郎!」
 彼女は青年の前髪を鷲掴みにすると抜いてやろうと人間とは思えぬ力で引っ張った。ひぎゃあああと情けない悲鳴が上がる。涙目で凍った路面にしゃがみ込んだ青年は地獄の底から響いてくるような声で彼女を脅す。
「う、うぜーぜ…。レディの癖になんでそんなに荒っぽいんだよ!」
「やられて当然だ。妾じゃなくとも誰でもやるわい。」
「あぁそうですか。お嬢はそういう女ですもんねー。」
 拗ねたように口を尖らせる青年を、黄金の彼女は窘める。
「お主こそ、そのひん曲がった性格を何とかしたらどうか? 父親やじいさまと全く同じでうんざりする。」
 赤いスカートをひらりと翻して、彼女の足は積もった雪を踏みしだく。短い裾から見える白い足を包むニーソックスが眩しい。追いかけようとして、青年は路上をかけだした。
しかしそこは冬の道。甘く見てはいけない。つるりと凍った路面は、見事青年をアスファルトへこんにちはさせた。がつんと鈍い音が響く。痛みの余り呻くこともままならない青年の傍に彼女は寄ってきて、その馬鹿さ加減に失笑した。あひゃひゃげらげらと笑うその声には気品というものがまるでなく、普段の彼女を丸ごと表しているようだ。悔しげに彼女を見上げる青年は漸く「くそ」、と悪態を吐く。そんな彼に彼女はそっと白い手を差し出した。
「掴まるがいい。お馬鹿な我が執事よ。」
「…さんきゅ。」
 その手に引かれて、立ち上がった瞬間に目の前が黄金色に輝いた。何が起こったかよく理解できない。気がつけば彼女の姿はなく、手を掴んでいたはずの自分の手は空を掴んでいた。…いや違う。掌の中で何か動くものがある。そっと拳を開くと、それは彼女のブローチが命を吹き込まれたような黄金の蝶がひらひらと羽ばたいた。青年は思わず呆けて腕の中の肉まんの紙袋を落としてしまう。黄金の蝶は雪に濡れて冷たくなっていくそれらのうちのひとつにとまり、羽を休めてこちらを窺っているようだ。


(良い夢は見れたかの? 愚かな子よ――――)


 黄金の彼女の息吹が、間近に聞こえた気がした。
 そうして、世界は暗転する――― 。




                                              End.