東雲

シロノナカノヒカリ

 目が覚めた時、僕には記憶がなかった。
 ここはどこなのか、どうして僕はここにいるのか、今までどんな人生を歩んできたのか、そして――名前すらも。


 ことり、と音を立てて目の前にティーカップが置かれた。外側が紅く内側が白いカップはシミひとつない真白なテーブルクロスに良く映えている。
「それで、だ。何か思いだしたか少年」
「……いえ、何も」
 向かいの椅子に腰を下ろした僕を助けてくれた男の人は、カップと同じ紅いポットで二人分の紅茶を注ぎながら「そうか」と笑った。
 目が覚めてから三日間、この家の前で倒れていたことを告げられ、以前のことを思い出そうとしたけれど結局何も思い出せなかった。
だから目が覚めてからすぐに、顔や腕に大怪我をしていたと言われても「そうなんですか」と他人事のような反応しか返せなかった。
 進展もないのでそれっきり何を話して良いのか分からず、ぼうっとその人を見つめる。人の良さそうな笑みを浮かべた顔は大体二十代後半くらいだろうか。深いスカイブルー色の瞳がよく印象に残る。伸びるに任せた黒髪はあちこちはねて、顎には無精髭が生えている。それで面倒くさがりなのかと思ったら、部屋の掃除はきちんとされてホコリはひとつも見当たらない。……よく、分からない人だ。
「別にそんな警戒しなくても毒なんか入れてないぞー」
「え、ぁ、そういうつもりじゃ…! ……いただきます!」
 出されたものを飲もうとせずに見ていたせいか、誤解を与えてしまったらしい。慌ててまだ湯気の立つティーカップに口をつける。が、紅茶が熱すぎて涙が出そうになった。
「冗談だよ、そんなこと思ってないからゆっくり飲め。火傷するから」
苦笑しながら今更そんなこと言われても、もう飲んでしまった後だ。火傷した舌先がじんわりと痛い。
「……大丈夫か?」
「だ、大丈夫です。平気です」
 紅茶に何度か息を吹きかけてもう一度飲む。よし、今度は大丈夫だ。
そういえばこの匂いはダージリンだろうか。僕自身のことは思い出せないくせに、こういうことはすんなりと思い出せる。もう少し、何か役に立つ事が思い出せたら良かったのに。
「…………なぁ少年、俺は考えたんだがな」
「何ですか?」
 男の人がいきなり真面目な声を出すので、紅茶を飲みかけのまま動きを止める。そして、
「お前、今日からうちの子な」
吹いた。
「な、ななななん何て、はいぃぃぃ!?」
もうこぼれた紅茶なんか気にしてられない。今、この人何て言った?
「落ち付いてー。何、嫌?」
「嫌じゃないですけど! すごく嬉しいですけど! だって大怪我して倒れてた(らしい)んですよ僕! 何か変な事に巻き込まれたりしたらどうしようとか思わないんですか! ダメです!」
 自分が今まで何をしてきたのか分からないのが今、一番怖いのに。
それなのにこの人はなぜ笑っていられるんだろう。
「大丈夫大丈夫。なんとかなる。で、名前は何が良い? グリエ・アスペルジュ? それともドントタッチミー?」
「何で名前が『焼いたアスパラ』と『私に触らないで』なんですかぁぁ! というか僕に拒否権的なものはないんですか!?」
 男の人は僕の意見を聞く気はないようだ。のんびりと紅茶を飲みながら名前候補まで紙に書き出している。仮に以前の僕が大変なことに関わっていたとしたら、自分まで巻き込まれてしまうとか本当に考えていないのだろうか。
「ないぞ。全俺が『この子はうちの子』で一致したから」
「何でですかーッ!!」
「……うん、少年が元気になってくれたのは嬉しいが、落ち着いて。傷口が開いちゃうから。んで、ここからは俺の独り言な」
 いつの間にか感情に任せて立ち上がっていた僕の肩を掴んで椅子に座らせ、男の人は左の壁に視線を向けた。視線を辿ると、壁に写真が一枚飾られていた。そこには目の前にいる人と同一人物だと思われる無精髭のない男性とショートの淡い金髪の女性が幸せそうに寄り添って写っていた。
「今年の春までな、妻がいたんだ。けれど、流行り病でいなくなっちまった。子供もいなかったから俺はひとりだ。あーあー寂しいなー」
 独り言というよりも完全に僕に向かって言っている。ちらちらとこっちを見るのがわざとらしい。
「…………何でそこまでして留めたいんですか」
「大怪我をした、まだ歳も十をこえた位の子供を放り出すわけにはいかないよ。それに、お前には直感で縁を感じた。これが大きい」
「……なんですか、それ」
 目の前の上機嫌で笑う顔を見てると、自分が必死だったのが馬鹿らしくなって、僕は、無意識のうちに笑っていた。
「よし、やっと笑ったな。大丈夫だ、お前はただの迷子の子供だよ。いつか昔を思い出したら居たいと思う場所に行って構わないから。だから、それまではうちの子だ。よろしくな、ネイジュ・・・・
 そう言って僕の頭に乗せられた手は、大きくて、あたたかかった。


…Fin

*あとがきという名の楽園、またの名を懺悔*
楽園なんて要素、カケラもないですけどね\(^O^)/(私にとっての楽園
お久しぶりですっていうか一年生の皆様はじめまして東雲です。
本編が不親切過ぎるので説明。コレ一応日本じゃないです。ヨーロッパに似たどこか、のつもり。あくまでつもり。あとはフィーリングでお願i(殴
結局本編で名前の出なかった男の人、名前はあったんですがタイミングを逃して出せませんでした。ごめん男の人。それでは、また機会がありましたらいづれ。

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