沢村拓

ハウス・オブ・カーズ

 僕はいつもどおりに学校から家へと向かった。その道のりはいつもと変わらないただの道でしかなかった。僕は歩きながらi podの電源をつけて、イヤフォンを耳に入れた。そして、レディオヘッドの「House Of Cards」を聴く。学校から僕の家まではこの曲で十分だった。
 僕の家はどこにでもある一軒家で壁はグレー、屋根は群青色、窓は大きく、陽射しがどこからでも入り込む。なかなかいい家だと思う。僕は黒塗りのドアを開けて玄関に入った。そして、ちょうど靴を脱いだとき、母が「おかえり」といって向かってきた。僕は素っ気なく「ただいま」といって居間まで歩いていく。黒いコートを無造作に投げ捨て、一直線に二階の自分の部屋まで階段を駆け上がった。僕は青いベッドに大の字になり、天井を仰ぎ見た。正確にいうと、天井に空いている小さな穴を見つめた。そのとき、めまいのような軽い違和感を覚えた。順調なギターサウンドを壊す何か・・のように。だが、僕は気にも留めず、バッグから宿題を取り出して机に向かう。それは一つの部分を除きはいつもどおりのことだった。その一つだけ違ったこととは、いつも使っているシャープペンシルがなくなっていたことだ。
 それから一時間ほど経ったころ「夕飯できたよ」という母の声が一階から聞こえ、僕は勉強を一時中断して、夕食のテーブルへと向かった。部屋を出て階段の手すりを掴んだとき、再び軽い違和感を覚えた。小さく微細なノイズが頭を駆け巡る。砂嵐のようだ。必死にノイズを止めようとするが、全く意味はなかった。
 「どうしたの?早く降りてきなさいよ」。母の声が僕をノイズから解放した。そのときばかりは母に心から感謝した。
「いや、なんでもないよ」と僕は平静を装って、再び歩き出した。夕食を食べているときも僕はあのノイズが気になって仕方なかった。ノイズの原因は間違いなく、あの軽い違和感だ。だが、それは不特定なものに対して、僕だけが感じているようだった。中二の妹も母も父も僕以外の誰も気にしていない。
 「今日のカレーにはリンゴをいつもより多く入れたんだけど、美味しかった?」母は覗き込むようにいった。僕は「うん、それなりに」といって席を立った。実際のところ、夕食の味など覚えてもいなかった。
 寝るときも僕はめまいにも似た違和感とノイズのことを考えていた。僕が思い当たる節はない。
 ――きっと、疲れているんだろう。
 僕はそう自分に言い聞かせ、眠りに落ちた。

 翌日の朝、僕はなるべく気分を高揚させようと努めた。僕は昨日の違和感は自分自身の精神的な問題だと思うようにしたのだ。きっと、明るく振舞えば、なんともないことなのだろう。
 僕はすでに朝食を食べ始めている家族になるべく大きな声で「おはよう」といった。家族全員が一瞬静まり返った後に「おはよう」と返してきた。僕は家であまり明るくはないほうなので驚いたのだろう。
 その調子で僕は学校生活を送った。友人には「今日は絶好調だな」といわれ、先生には「元気でよろしい」といわれる。悪くはなかった。
僕はあのノイズのことなどすっかり忘れ去ってしまっていた。その代わりに心の中へとインプットされたことは「明るくする」だった。
 僕はいつものように「House Of Cards」を聞きながら家に帰った。黒塗りのドアを開けて玄関に入ると、あの違和感が頭をよぎる。だが、違和感もノイズもなく、いつもの家だった。
家には誰もいなかったので、普段はすぐに自分の部屋へと行くのだが、今日は居間で少しゆったりしようとソファーに腰掛けた。そして、テレビのリモコンを取りに立ち上がったとき、それは起こった。あの独特の違和感が僕を襲った。続いて、ノイズ。だが、それは昨日よりも大きくはっきりと聞こえた。脳内を全て駆け巡るような音だ。僕はその音に耐えかねて、耳をふさいだ。当然ながら効果はなかった。僕は何かに弾かれたように顔を上げた。全くの無意識の出来事だった。すると、ノイズはやみ、世界はまたいつもの景色に戻る。僕は一呼吸おいて、部屋へと続く階段を上った。
昨日のように僕はベッドに寝転び、天井を見上げた。そのとき、僕は信じられないことに気がついた。穴がなくなっているのだ。天井に空いていた小さな穴がなくなっていた。そして、違和感は僕を傷つける刃物のように鋭いノイズへと変化した。僕は恐怖のあまり部屋を飛び出した。階段には昨日までなかったクーニングの絵がかけてあり、床には見たこともない傷がいくつもついていた。僕は何か・・の予感を感じて、筆入れの中を見た。そこにはなくしたはずのシャープペンシルが入っていた。僕は現実がわからなくなった。
そのときに僕の家は崩れ去った。それは元々崩れやすいものだったらしい。僕は今更気がついた。地面は僕を受け入れるように大きな口を開け、僕はその大きな穴に真直ぐ落ちていった。周りにはトランプが無数にちらばっていた。僕は穴に落ちる前に「矛盾」という故事を思い出す。

始まりは天井の小さな穴に疑問をもったことだろう。そもそも疑問とは何か・・が腑に落ちないことだ。彼は一体何が腑に落ちなかったのだろうか。そして彼は何に「縛られている」ことに気がついたのだろうか。

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