獄華蓮

微妙な距離

 ある夜中の二時、太陽はとっくに沈んでいると言うのにガラスを叩く音がする。毎週のことなので慣れてはいるが、それでもこんな時刻に起こされるのは辛い。毎回気分は最悪だ。寝起きの重い体を動かして私はベランダまで行き、空色のカーテンを開けて鍵に手を掛ける。ガラスの一枚向こう側では、ニコニコと笑っている彼がいる。
 隣人であり幼馴染みである啓ちゃんは毎週土曜日、この時間に私の部屋を尋ねてくるのだ。

「啓ちゃん、もう……もういい加減にして、こんな時間に起こすの。私は啓ちゃんと違って生活リズム狂ってないの」
 彼を部屋に入れてからベランダの鍵を閉め、カーテンを閉めた。それから一度キッチンまで行き番茶を淹れた。本当は紅茶がいいのだけど、啓ちゃんが飲めないから。匂いが駄目らしくて。
「だってもう皆寝てるんだ。起きてても相手にしてくれないんだよ」
「私、寝てたけど」
 そんな力説されたって困る。それに今の説明からだと私を起こすのはおかしい。今の説明は、起きていて且つ相手にしてくれる相手のことを言っていると思うのだが。
「ヒロは優しいから、いいんだ」
 寝起きで軽く寝ぐせのついた黒く長い髪の毛を結おうとしていた手が、一瞬だけ止まった。大きく開いた私の目が柔らかくほほ笑んで床を見つめている彼をとらえた。
「……そんなことないわ」
 ボソリと言った言葉は彼には聞こえなかったようで頭に?が浮かんでいる。私は気を紛らわすようにすばやく髪の毛を緩く一つに結った。


「使い終わった茶葉ってさ、捨てるの勿体無いよね」
 何を言い出すのかと思えば。呆れながらも少し顔が緩んだ。軽く溜息をついて私は口を開いた。
「役目が終わったんだから、しょうがないことじゃない」
「でもなぁ……なんか腑に落ちないんだよ」
 私の知ったこっちゃない。たかが茶葉で。私はそう心の中で毒づいた。
「使い終わったものを捨てなきゃ、新しいものは使われないで終わるのよ」
 ふと私は気づいた。私は茶葉と言う言葉を無意識にものと言い換えていたことに。物なのか者なのかは定かではないが。
 私は何に置き換えたのか。きっと彼も何かに置き換えて話をしたのだ。だから、あんなに……
「……それは、人でも一緒かなぁ。過去の人は忘れて、ずっと、どこかで待っていてくれる人を見つけに行けってことかな」
 嗚呼、私たちは者に置き換えていたのか。啓ちゃんが誰の話をしているかなんて知らないけど。
「探し出してくれなきゃね。でねきゃ、待っている人は使われないで終わる番茶と同じだものね」
 そう言って私は苦笑した。彼も苦笑した。ここで大笑いできたらよかったのに。
「さぁ、もう四時になるわ。早く帰って寝ないと太陽と顔合わせることになっちゃうわよ」
「それは困るなぁ……」
 とことん太陽が苦手な彼は目を明後日の方向に向けた。
私はカーテンを開けて鍵に手をかけたところで思い出したように啓ちゃんに聞いた。
「今日の話はいつもと違ったわね。いつもなら彼女の話、するくせに」
 ずっと、ずっと惚気るくせに。生意気な、といつも思う。
「まぁ……いろいろあってさ……」
 その表情を見た時、すぐわかった。啓ちゃんが、彼女との間に何か善からぬことがあったであろうと。
「まぁ、何かあったらまた来週でもどうぞ」
 私はニヤリと笑って言ってみた。半分本気で、半分冗談で。
「……さっきまではいい加減にしろって言ってたのにな……」
 その時の啓ちゃんの表情はさっきの苦笑と似ても似つかないものだった。来た時に見た、ニコニコした顔。
「同情してあげてるの。何かあったら相談しなさい。啓ちゃん、まだまだ子供なんだから」
「……子供じゃない! ヒロと同じ歳だ!」
 確かにその通りだけど、こんな挑発に乗るようじゃまだまだ子供だと。そう思う私は間違っているのか。
「あら二ヶ月も違うわ」
「二ヶ月だけだろ!」
「十分よ」
 少しだけ胸を張ってみた。ニッコリと笑って。たった二ヶ月、それだけで十分な差がある。
「じゃ、また来週」
「あ、来なくたっていいんだからね。意外と起こされるの辛いんだから」
 了解、と笑って言った彼は、私の部屋のベランダから隣の家に飛び移った。そんな彼を見てから私はベランダとカーテンを閉めた。

                                       fin…

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