「でもね、本当は違うの」
その声が。
なんの前触れもなく、するっとどこかに侵入した。
「英子にだけ、教えてあげる。他の人には秘密ね」
そのどこかから、なにかが漏れ出すのを感じた。
次第に外側に近づいて、皮膚が微かに震えだした。
「もうすぐわたし、京都に帰るの」
***
「うそでしょ」
「ほんと」
「うそ」
「お母さんとお父さん、仲悪くなって、別々に暮らすんだって。わたしはお父さんの方に行くの。しばらくはおばあちゃんの家なんだって」
「うそ」
「ほんと」
「…お別れ?」
「うん」
悲しい、とは思わなかった。たぶん武者震いだ…違うだろうけど。
「そうかぁー…」
わたしは仰向けになって、白い天上を眺めた。握り締めた手の中でガラスの箸置きが熱を溜め込んでいった。
「実感がない」
「うん」
「新築のローンもあるでしょうに」
「ふふ」
「?」
「なんだか、英子らしいと思って」
「今、ナイーブ」
「そっか」
「…秘密?」
「うん」
「指きりする?」
「しない」
里ちゃんははっきりと言う。里ちゃんは歯切れのいい返事しかしない。この頃は心底羨ましかった。
「これって、花びらが閉じ込められてるみたいよね」
すっかり熱を帯びてしまった箸置きを見て、里ちゃんは言った。
「じゃあ、ガラス綴じ」
「ガラス、綴じ?」
「卵綴じと同じ感じで」
「…いいね、ガラス綴じ。さっそく図鑑の一ページにしよう」
里ちゃんは色えんぴつでその箸置きを模写し始めた。わたしは説明を書いた。
ガラス綴じ――――ガラスの中に物が綴じられているもの。ガラス綴じはガラス以外で綴じては意味がなく、また、美しさを追求したものでなければならない。
***
小学校の卒業アルバムに挟まれていたその図鑑は、わたしと里ちゃんとの日々を赤裸々に思い出させてくれた。なんともありがたいことである。よくここまで断言できたと過去の自分に拍手をしたくなる。
その後、里ちゃんは生まれ故郷に帰っていった。手紙のやり取りをして誕生日のプレゼントも送ったし、里ちゃんからも送ってくれた。そうするうちに、お互い疎遠になっていった。
携帯電話がなかった時代、ほんの少し前の話である。