叉凪

無題

 夏祭りの会場から少し離れた雑木林の中に俺はいた。雑木林といってもきちんとした階段になっていて、この先の神社へと続いている。
ふと後ろを振り返れば、木と木の間をすり抜けるように祭りの明るい灯りが見えた。騒がしい人の声もする。こんな薄暗い道を歩いていると、先程までの煩わしかった声もありがたいものだ。

 石段を登り終えた場所にそびえ立つのは古い神社。神主もいなければ参拝客も来ない、そんなここは神社というより大きな祠といったところだ。毎年夏祭りに訪れた誰か彼かは、ここを肝試しとして使う。今日使うのは俺達ってわけだ。大学のサークルの連中と夏祭りに行くという話になったとき、話題に上ったのがこの神社の噂だった。なんでも神社の前に置かれている二体の狛犬の像が、ひとりでに歩き出すというのだ。
 懐中電灯片手に神社の鳥居の下を通りすぎる。噂の狛犬の像が向かい合わせになっているのが見えた。ふと思い出す、先程後輩が話していたこと。
『夜な夜な狛犬が動き出して、人を暗い黄泉の国へと連れて行くんです』
「…ただの噂だ。」
 自分に言い聞かせるように呟くと、真っ直ぐ社のほうへと進む。持ってきた花火を一本、前の人が書いた円の中に置いてくるだけだ。なんてことはない。全員が終わったあとにここで花火をする予定なのだ。途中に脅かす人もいなければ何があるでもない。これでは肝試しではなく度胸試しだと思ったのは秘密だ。

 何もなかった道のりにふうと溜息を零して、道を戻ろうかと振り返る。しかし視界に入ったのは少女の大きな目で、俺の顔をじっと穴が開くほど見つめている。
「うわっ!」
 あまりの突然なことに驚いて、大声を上げて一歩下がってしまった。しかし目の前の少女は大声に驚くこともなく、ただただ大きな目で見上げてくる。自分より小さな子が静かなおかげか、一瞬爆発したんじゃないかと思った心臓が落ち着き始めた。
 ひとまず落ち着くために大きく息を吸って、大きく吐く。そして目を開けて目の前を見ても、先ほどから子供は表情一つ変えない。
「えーと、迷子?」
「……」
聞き方が悪かったのかもしれない。表情どころか口も開かない少女に、まいったなと小さく零す。紺色の浴衣を着ていると言うことは、多分夏祭りに来ていたのだろう。
「…ミキ」
「ん?」
「あっち」
 ぼそりと呟かれた言葉は多分名前なのだろう。次いでぐいっとTシャツの裾を引っ張られて、神社の裏側を指差す。突然の行動に意味を図りかねて、うーんと唸りながら愛想笑いで確認した。
「親がいるのか?」
「……ユウ」
「ゆう?」
「お兄ちゃん」
「あ、そうなの…」
 相変わらず表情を変えずにほぼ単語だけで話す少女に戸惑いつつも、話の流れからその意図を汲み取ることができた。つまり連れてけってことだ。大体何歳離れている“お兄ちゃん”か知らないが、子供だけでこんな時間にこんな場所で遊んでいるのはいささか奇妙だ。いくら今が夏祭りだとしても、だ。
自分は肝試しの途中で、サークル仲間がずっと下の方で待っているだろう。しかしまだ小学生くらいの子を放って置くこともできるはずがない。神社の周りを見回してみると、先程と変わらない深い雑木林が続いている。先が見えない暗さだ。
 ちょっとした覚悟を決めて小さく溜息を零した。そして目の前の少女に手を差し出して笑顔を作る。
「しゃーない。捜すか」

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