梔子いろは

オレンジ・トルマリン

 どこかで聞いたようなセリフを吐くと、人面犬、もとい人面猫はニヤリと微笑み、くつくつと声をあげて笑う。
「いいのかお前ら……」
 言っている意味がよく分からなかったので、こくり、と首をかしげる。
「うかうかしてると、―――――二人とも死ぬぜぃ?」
 がたんがたんっと校舎を震わすような、壊さんばかりの暴音がして、理科室の窓からひょこりと顔を出すと、そこには爆走してくる例の二百キロ婆がいた。実際には二百キロものスピードは出ていないだろうが、如何せん早い。しかも婆はカマのような凶器を持っていた。確かに対応が遅れれば困ったことになる。遠く小さく見えていたそれは、気づくと雷香の顔の真ん前にいた。
「…っっ!」
 ぶんっと空気を裂くように、カマが首のあったところを薙ぎ払う。ちくりと鈍い痛み。端が、少し切れたのかもしれない。慌てて出していた顔を引っ込めると、またあの人面猫がニヤニヤと嫌な笑いをしている。
「だから言ったろ?死ぬぜってな。アイツは俺らの間でも有名な殺人狂の婆だ。奴はマジでヤバいぜぇ。過去逃げられた奴は一人もいねぇ。」
 そんな情報、今要らなかったのに。絶望的な状況を如何にして切り開くか。それともここで果てるか。選択は二つに一つだ。そんな事を考えていて、一瞬、油断した。そのたった一瞬を、敵は見逃さなかった。
「―――――――ぐ、」
 ドスンと、肩に重たい衝撃を喰らう。そこから生えていたのは、まごうことなき、婆のカマだ。痛みと焦りに片膝をついて、やられた右の肩を押さえる。傷口は浅くはないようだ。こうしている間にもどくどくと血が流れていく。キチンと思考を整理しなくては。クールになれ、と心の中で言い聞かせ、第二撃がどこから来るか見当を立てた。しかし、人外のモノの動きを予想するのは、やはり無理だった。思ってもみない方向からカマが飛んできて、思わず目を瞑る。死んだ、と思った。
「―――動くな。」
 凛とした声が響く。さっきまで空気並みの存在感だったから忘れてた。石動優貴人が右手でかっちり締めていたネクタイを弛めながら、命令していた。
「せ…先生?」
「やっぱりさぁ、やる時はやんないとねぇ僕も。」
 けだるそうにそう言って、動けない婆のほうへ歩み寄る。
 いつもと雰囲気が違う教師に、雷香も少し困惑気味で語りかける。別人のような振る舞いに、少々不安になった。
 ネクタイを完璧に解き、シャツの第一ボタンを開けて、石動は堂々と、支配者の如く言った。
「よくも大事な生徒にやってくれたね、お前。―――タダで済むと思うなよ?」
 馬鹿みたいに明るかった声は地を這うように低くなり、瞳に宿す光も暗い。眼鏡のフレームを気取るように持ち上げて、にっこり、笑ってこう言った。
「今すぐ失せろ。―――この世から。」
 出来るだけ苦しみを味わって、ね。その『言霊』に無理矢理屈伏させられた二百キロ婆は、みるみるうちにその姿を薄れさせていく。地獄の苦しみを味わっているような壮絶な叫びに、雷香はきゅっと耳を塞いだ。数秒も経たないうちに完璧にその存在は消えたらしい。いつの間にか瞑っていた眼を開くと、元のあほらしい顔に戻った石動がどアップで迫っていた。
「…ひっ!…先生何してんのさ!」
「雷香くん、大丈夫だった?…あぁ、大丈夫じゃなさそう。」
 ぱっくり口を広げた肩を見て、彼はふっと苦笑する。慈しむような目線が恥ずかしくて、雷香は石動を突っぱねた。
「大丈夫だよこの位。心配しないで。センセ。」
「…あとでちゃんと手当してあげるから。」
 先ほどのかっこよさはどこへやら。一転してイヤラシイ笑顔で言い切った犯罪者一歩手前を左ストレートで落とし、未だ側を離れない人面猫に尋ねる。
「ねぇ、ここの大ボスって誰なの?」
「俺が教えると思うかぁ?…ふん、まぁいい。教えてやろう。お前のすぐ 後 ろ に い る 奴 だよ。」
 がばりと振り返る。すっかり忘れていた。顔を失くしてしまった少女が、ぽっかりと空いた穴を歪めて、笑っていた。
「雷香っ危ないッッ!」
 どんっと横から衝撃を受けて、埃の積もった床に倒れ込む。目に映ったのは自分の代わりに攻撃を受けた石動の姿。腹をやられたのか、腹部が赤く染まっている。自分の傷なんかよりとても酷そうなそれに、雷香は思わず駆け寄ろうとした。しかし静止がかかってしまう。体が言うことを聞かない。これは、教師の『言霊』の力だ。
「来るんじゃない。今すぐ、ここから離れるんだ。」
「い、やだ!先生はどうするのさ!」
「僕なら大丈夫、だから。」
 力を使うために、精神を少年一人に集中させる。痛みがひどい。集中が切れ、『言霊』が使えなくなるのも時間の問題だ。消えそうな意識の中、石動はそう思う。
「早く、行くんだ。雷香くん。」
 命令には逆らえない身体が、勝手に方向転換する。重傷の彼に背を向ける形になって、雷香はくそと精一杯の抵抗を試みるも、やはり、自分の意思ではどうしようもならない。それでもかろうじで曲げた顔は、瞳は、とんでもないものを映した。顔なし少女の鋭い爪が、ぐちゅりと内臓を掻き回す。それは、死にかけの相手にとどめを刺すような、容赦のない、一撃だった。
「せ…センセ?せんせ…センセっ!」
返事は返ってこない。今すぐにでも駆け寄って生死を確認したい身体は動かない。げらげらげらという少女の無邪気な笑い声。足もとに伝ってくる血。必死に叫ぶ自分の声。人面猫の意味深な微笑み。さらに身体をズタズタにしてやろうという血塗れた長い爪。全てが重なり全てが共鳴して。――――雷香の中で『何か』が弾けた。
空気が唸る音に、石動をいたぶる事に集中していた少女が首を傾げる。次の瞬間、身体の中を蹂躙していた幼い腕は三メートル程先へと飛んでいた。
「げげ…ぐぎゃああぁぁぁ!」
 聞き苦しい悲鳴と異様な雰囲気に、それまで意識を飛ばしていた石動が目を覚ました。その瞳に映ったのは、悶え苦しんでいる化け物と、空気の渦の中心に立つ教え子の姿だ。
「―――ぐっ!」
急な痛みを思い出して、彼は腹を押さえた。傷が思ったより深い。何とかして身体を動かし、はっと気づいた。
――雷香にかけていた『言霊』の効果が切れている。いや、切れているんじゃない。自分のかけた力より、もっと大きな力が動いていて、それに『言霊』が負けているのだ。少年が持っていた潜在的な力を甘く見ていた。
少年のそれは、石動の力など遥かに凌駕している。
「…ら、いかくん、」
 呼びかけた声はたぶん届いていないだろう。空気の共鳴音がやかましい音を立てているからだ。ぱすっ、抜けたような音がして、振り返ると例の化け物が両腕を失くして苦しみの悲鳴をあげているところだった。ふくふくと膨れ上がる霊体を蹴散らすように、少年の周りの嵐はどんどん大きくなっていく。嵐の音に混じって、校舎が暴虐に耐えかねて軋む音がする。危ない、このままじゃこの建物を丸ごと破壊しかねない。
「らいかくんっ、やめ!抑えて!」
「センセ、生きてたの!…てか、抑え方わかんなっ。」
 あり余る力は時として身を滅ぼす。雷香においてもそれは同じで、空気の渦は大きくなる一方だった。本人も何とかして止めようとしているものの、難しいようで、出来ないらしい。その間にも校舎の軋みも大きくなっていく。
「―――いっ!?」
 どん、と爆発が起きたような音とともに、校舎の屋根が吹き飛んだ。さんさんと降り注ぐ太陽の光に、霊体が苦しみの声を上げる。途端、一気に雷香の力が暴走し、旧校舎が―――爆発した。
 床が抜けて、真っ逆さまに落下する。一瞬の無重力に一瞬抱えていた痛みを忘れて、石動は力の抜けた雷香の身体を自分の方に引き寄せた。落ちていく衝撃に身を備えていると、横を消えかけた人面猫がすっと通り過ぎた。
「よう。アンタの生徒、すげぇ力持ってんな。」
 返事をしないで黙っていると、勝手に向こうが話を続けた。
「でもよぉ、逆に強いと俺たちにとっては脅威だな。いつか狙われても、おかしくないぜ?精々、気をつけて見てやることだな。」
「…言われなくても、そうするよ。」
 にやり、とまた嫌な笑みを残して、人面猫は消えていった。あっちの世界に帰ったのかもしれない。最後まで、アイツは敵か味方か分からなかったな。抱え込んだ雷香を見ながら、石動はそう考えた。そうこうしてるうちに、身体は木片の積もった地面に叩きつけられた。
「ぐ…雷香くん。大丈夫かい?」
「センセこそ…怪我は?」
 抉られた腹は痛みに疼くが、死なない程度だろう。程度を伝え、石動は雷香に支えられ立ち上がった。そのまま三歩ほど歩いて、はたと少年が止まる。
「?どうしたの?」
「センセ…救急車呼んだ方が早いかも。」
 そう言って学生服のポケットから携帯電話を取り出して、救急車を呼んだらしい。ぽちんと終話ボタンを押して、傷ついた先生を横たえ、自分も肩を押さえる。
「雷香くん、力目覚めたね。良かった良かった。」
「良くないよ。未だにどうやったらいいのか分かんないもん。」
「使い方、ちゃんと教えてあげるから。君を守る、君だけの力の使い方を。」
 ゆぅるり、微笑んで石動は言う。
「頼りにしてる、センセ。」
「頼りにされます。あっじゃあこれから僕の家で個人レッs…ごめんなんでもない黙るから力の発動ストップ!」
 ちょっぴりロリショタコンの変態教師と、ちょっぴり横暴小悪魔な生徒のコンビは、快進撃を続けていくことに…なるか?凸凹コンビの進軍は、まだ始まったばかり。

                      
                       【end.】

あっとがきーん
 まったなんつー微妙な終わり方なんだwすいません時間がなかったんです次いで言うとネタもなかったんです変態ごめんなさい(痛っ)新入生歓迎号なのに考えた末結局これかよーな。いや、文芸部には素晴らしい才能持った方がたくさんいますからね!梔子がアホの子なだけですからっ。どうぞ、来たれ!文芸部へ!(笑)
 本作は締め切りの三日前からコツコツと書き上げたものです(オイっ)キャラの構想もストーリーも全然だめだったケド唯一言えることは変態書くのすっげー楽しかったってことかな☆
タイトルは石の名前から。『人生の展開』より。
雷香くんの人生はこれからどうなるんでしょうね?
あと今回は調子に乗って初めて詩を書いてみました。
同じく石の名前より。一本は暗めに、一本は明るめに。
いろんな意味で、今回の作業はたのしかったなー☆
             08、4月  梔子いろは

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