梔子いろは

オレンジ・トルマリン

(前半戦)

小さな頃からずっと見えていたので、当り前のことだと思っていた。みんなそうではないかと思っていたのだ。
 実際は違うどころか、人に話したら頭がおかしいのではないかと思われる現象で。これが日常の俺には、ほとほと困る、現象なのです。

『おーい兄ちゃん。俺たちと一杯やんねーかァ?』
『こっち来いよぉ。楽しいぜ〜。』
「うるさいな!さっさと成仏しやがれ!」
 黄泉地 雷香(よみじ らいか)、幽霊が見えるんです。
 幼いころから散々連れて逝かれそうになっているため、耐性はいつの間にかついてしまっていた。 今日も未成仏霊を追い払うのに必死である。朝っぱらからこんなウザいのに付き纏われたくもなかったし、 何より学校に遅刻すると厄介なのに絡まれるからだ。ダッシュはしたが、一瞬遅かった。 無情にも校門は閉められて、中からその厄介なのがひょっこりと顔を出す。
「ら・い・か・クン。遅刻は、いけないなぁ。」
「石動(いするぎ)先生…。」
 石動、と呼ばれた人物は細いフレームをくいと持ち上げると、にっこりと微笑んで見せた。 反対に、雷香の顔は苦くなるばかりである。条件反射のように眉間に皺を寄せると、 相手もそれを見て苦笑いし、鉄の門に手を乗せる。その手は地味に雷香寄りだ。
「そんなに不機嫌にならなくても。僕が君に何かした?」
「先生は存在自体が犯罪です。近寄るな孕む。」
「孕むって君…男の子でしょう。」
 こちらに伸ばしかけられた手を振り払い、雷香はむすっとした顔で石動を睨む。 誰の目から見ても二枚目な顔。涼しげな瞳、いやに似合うスーツに爽やかな微笑みで、 女生徒とお母様方はほとんどがこの教師のファンであると言っても過言ではない。 ただし、見た目は良くても中身が最悪なことは、プラマイゼロ、むしろマイナスまっしぐらの域だ。 何せコイツ、根っからのロリコンであるからで…。
「俺が男でも、お前は…なんか危険だ。」
「失礼な!僕は可愛いものを愛してるだけなんだよ!?」
 例えば雷香くんみたいなちょっと幼め童顔の、と付け足される言葉は、その本人による容赦のないキックによって緊急停止させられた。 痛そうにスネを抱えて転げまわう二枚目教師を冷たい眼で見て、雷香はふっと溜息を吐く。全く、何でこんなのと関わっちゃったんだろうか。
「雷香くん…今僕に対してすっごい失礼な事思わなかった?」
「ぅ…別に、何も考えてないから。」
「嘘つき。雷香くん、おすわり!」
 びしぃっ、人差し指を突き立てて、まるで飼い犬に命令するように言うと、指された先の身体はびしっと硬直し、 俗にいうおすわりポーズになってしまった。屈辱に耐える少年の顔は、最早般若のようになっている。
「センセ!こんな時に『言霊』使うの反則だろッ!」
「はぁ?僕何にも知りませーン。」
 ニヤニヤと笑う石動を睨んで、くっと唇を噛みしめる。厄介なところAが、この男の能力である『言霊』の能力である。 声に出した言葉が現実の現象に何らかの影響を及ぼすこと、それが『言霊』。 実はこの石動教師、陰陽師の血を引いているのだそうだ。 ただし、その血はすごく薄いものだそうで、本人はこの『言霊』の能力しか使えないと言っていた。 ただしこれだけでも厄介なもので、コイツはそれを平気で悪用するので困る。『言霊』の力は本人の霊能力と比例する。 これだけ他人の身体を操作出来るのだから、石動の力は実際大したものなのだろう。雷香がキッパリ彼を突き放せないのも、このためである。
「アンタがこんな力持ってなかったら、俺はアンタみたいな奴と絶対関わってなかったと思う。」
「じゃあ僕はこの力に感謝しなきゃね♪何せ君みたいな可愛い子を引き寄せてくれたんだかr…ぐふッ!」
嬉しそうに抱きついてきた変態に一発入れて、雷香はくるりとまた石動へ向き直る。
「今日こそ、教えてくれるんだよね?」
「…何の事かな?」
 とぼけないで、と強い瞳が物語る。
「霊から身を守る方法の決まってんじゃん。」
 顎でしゃくるように学校、それも今は使われていない旧校舎の方を指す。石動の表情が明らかに曇った。しかし、それは少年のささやかなお願い、もといオネダリによってあっさり、崩されてしまう。
「センセ…お願い。特訓、しよ?」
「ぶふー!もっもちろん付き合うよってゆうか先生とつきあtt…なんでもありません。」
「(にっこり)」
 特訓、というのはもちろん霊から身を守る特訓のこと。
 入学したときに石動から聞かされた話によると、どうやら自分もそれなりの能力は持っているようで、上手く開花させれば役には立つということらしい。雷香にとってみれば、今すぐにでも習得したい力なのである。
「放課後、ここで待ってるから。必ず来てよね?」
「う〜、分ったよぅ。」
 渋々頷く石動の答えに満足して、雷香はふんと微笑む。
「約束、破ったら怒るからね!」

(後半戦)
 
 不気味なものは、やっぱり不気味であるのだ。男の雷香でも、多少の恐怖は感じてしまうものなのである。
…この旧校舎は。建てられて百四年になるその姿はまるで何も知らない人間を飲み込む悪しき妖怪のようだ。
実際に祟られているらしい。取り壊そうとした工事関係者が何人も事故にあっているのだそうだ。 他にもみち子ちゃんという名の少女の幽霊が出たり、二百キロ婆が廊下を猛ダッシュしてきたり、人面犬が親しげに会話してくるらしい。噂の真偽は、定かではない。
「らっいっかクーン!お待たせ☆」
「キモいんで止めてください。自分の年齢考えてください。いい年して恥ずかしくなんですか?」
「ぐさっ。ちょっ、今のは心が痛かったよ君…。」
 ブロークン・マイ・ハートと叫ぶ教師に、思わず一瞬だけ殺意を覚えたが、そこは雷香の方が大人。何とか抑え込み話を元へと戻す。本題へと。
「やっぱり、実践じゃないとダメすか?」
「そうだね。君のその力は普通にしてたら絶対に目覚めない。少し無理やりにでも覚醒させてやんないとダメかな?だから、ここは一度本物に向けて、ね?」
「…うっす。」
 意を決して旧校舎の中へと踏み込む。瞬間爆発したかのような音を立てて、重たい扉が閉まった。 鉄のそれはいくら引っ張ってもうんともすんとも言わない。これは、俗にいう「閉じ込められた」状態だ。
「先生…これは予想の範囲ですか?」
「いや、完璧予想GUYだよ…。」
 こんな時までふざけんなと相手の頬を抓り、くるりと周囲を見渡す。窓は中から板で打ちつけられていて、開きそうにもない。 ドアは開かないし打つ手はなさそう。八方塞がりの状態に、焦るような、恐れるような溜息を洩らす。 それに気づいたのか、石動は苦笑してぽんと雷香の肩に手を置いた。
「大丈夫。大丈夫だよ、雷香くん。」
「石動センセ…。」
 いつもはセクハラ紛いなのだが、今回はやけに優しいその手を、少年は振り払うことはしなかった。
「何があっても僕が守ってあげる。大丈夫、安心して?」
 子供のような無邪気な微笑みと励ましによって、ふっと緊張していた心が解れる。様子を見て取って安心したのか、肩から手を放し石動は言った。
「要は、ボスを倒せばいいんだよ。そうすれば、ここから出られるはずだ。」
「そんな、簡単に言わないでよ。センセにだって、出来ないかもしんないじゃん。だって、ボスって強そうだし。」
「あのねぇ、僕が何年生きてると思ってんの。よく、ある事なんだよ?相手の「領域」に引きずり込まれちゃうこと。僕これで十二回目だから。」
 うんざりという風に石動が言うと、ふーんと感心したように雷香も納得したようだ。意外、というような顔で目の前の教師を見やる。
「センセって…案外使える人だったんだね。」
「…案外ってのが引っかかるけど、可愛い顔に免じて許してあげるよ。」
「ありがと、センセ。」
そう言って一歩を踏み出す。長年使われていない廊下はギシギシと音をたて、侵入者の存在をここだと伝えているようだ。 建物の中には二人分の足音がもろに響いている状態である。一階、給食室の前まで来て、ふっとその違和感に気づく。
「…センセ。」
「分かってる。」
 目くばせして、急にくっと立ち止まる。思ったとおり、足音が、一つ余分に聞こえた。
「そこかっ!」
『言霊』を発するのに気を溜めて、姿の分からないモノがいる方に振り返る。 幼い少女が、こちらの顔を覗き込むようにして、しゃがんでいた。この子がみち子ちゃんなのだろうか?人外であることは間違いない。
「…どうしよう?」
「どうしたのさ、センセ。」
 幼い少女はじっと気味が悪いくらいにこちらを睨んでいる。 顔がどんどん崩れてきて、皮膚が、眼球が、頬肉が、ドロドロと流れ落ちていく。 直観的に、雷香はヤバいと確信した。隣の頼りになる男に助けを求める。
「センセっどうすんのさっ。」
 その先生は、結構焦っていた。いろんな意味で。
「僕…ろりっ子としょたっ子には手が出せないよ!」
「はぁ!?何言ってんのさ!相手は人じゃないんだよ!」
「分かってるけどぉ!とにかく僕には出来ないんだぁ!」
 だからここは逃げよう!と言わんばかりにその場から見事なダッシュで逃げだす石動を、 ぽかんとして見つめていた雷香もはっと気がついて、急いでその後を追う。
「このッ、役立たずめがッ!」
「ひどいっ!僕にだって譲れない事くらいあるんだよっ。」
「うっさいわ!いいから走れって!」
 いつ追ってくるか分からない恐怖からいつもの倍以上速く走っているだろう雷香に置いてかれそうになりながら、 石動が後を追いかける形になったいた。ドタドタと翔ける二人の足音とは別に、ひたひたと裸足がついてくる様な音がする。 間違いなく、あの子供は付いてきているようだ。どこか隠れる所がないか探し、二階まで上がって端の教室…理科室に身を隠す。 ひたん、ひたん、と小さな足音が近づいてくる。息を殺して子供が通り過ぎるのを待つ、二人の背中を何かがポンと叩いた。
「にゃおん。」
 猫ではない。鳴き声は猫でも、ここに普通の生き物がいるとは到底思えない。恐る恐る振り返ると、そこには人の顔をした犬が、よっ、と立っていた。
「…センセ。石動センセ。」
「ダメだって。動物愛護団体に怒られちゃうもん。」
 もんって、可愛く言っても少年の怒りを買うだけである。ていうかその前にこれは保護されるべき動物なのかという点がある。 …まぁ、希少価値はそれなりにあるだろうが。いくらくらいになるのかな?などと雷香が考えていると(恐怖はあまりなかったらしい)、 人面犬はオヤジのような声で話しかけてきた。
「おい、アンタら何してる。」
「人面犬に、言われたくないね。」
「ふん、俺は犬じゃねぇ。猫だ。」
 そのナリで、何を言うか。
「吾輩は、猫である。」

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