瑞浪

卒業の色

 三年間があっという間だったとは思わない。ゆっくりでもなかったが、どうしてもこの「アッという間」のフレーズに反論したくなるのだ。時間の流れほど確かな物はないだろうに。それでも、最近は感慨深く思うことがある。十八歳のうちの三年間だから人生の六分の一、その時間のほとんどをこんな制服(真っ黒のセーラー服でリボンまで黒、襟に白い線が三本入っている)を着て過ごしたのだ。
 コンロにスープ作り専用の鍋が置いてあった。母さんが誕生日に欲しいと言っていたので、父さんと専門店で買った鍋。母さんはこの鍋のことを「実用的かつ美しい」もので「不思議に料理がしたくなるのよ」と言った。中身はキャロットポタージュだった。冷えているがポタージュ特有の甘い香りがする。洗い物かごにあったマグカップに注ぎ、冷蔵庫から出したベーグルと一緒に電子レンジで温めた。
 十時半―――両親共に出勤していて家には私しかいない。あと三十分経ったら私も行かなきゃならない。やっぱり昨日髪を切ったのは失敗だったなと思う。短くなってしまった自分の後ろ髪を撫でると、みどりの細くて短い髪を思い出した。チョコレートのビターみたいな色の髪。そういえば、みどりは一度も制服にケチつけなかった。「馴染みやすいんだよね」。みどりはいつもそんな風に、言い訳みたいに言う。ポタージュには本の通りに生クリームが適量入っているので、深くてなめらかに仕上がっている。時々ベーグルを浸して食べるが、予想に反してなかなかポタージュを吸収してくれない。食パンがあったらよかったのに。CMなんかで冬の朝にスープを飲んでいる絵は、どうしてあんなに幸福そうに見えるんだろう。一日の始まりがゆっくりと進んでいるようにも錯覚してしまう。もし私があんな時間を経験するなら、一時間は早く起床しなければならない。休みの日は十二時間眠る私には無理な話だ。
 ぺしゃんこのスクールバッグを肩に掛けて、玄関の鏡で自分の顔を覗き込む。しかし、本当に短くなったとまた思う。でもその後は何も考えずにそのまま家を出た。予定より五分遅れだったからだ。

 いつもみどりと行動しているわけではない。みどりはべったりとした友人関係を嫌っている。「持ちつ持たれつ、互いに助け合うのが理想」。だと、先生のようなことを言う。
 みどりとは一年生のマラソン大会で知り合った。それまでは互いに別のクラスで名前も知らない人たちの一部だった。私の通う高校は共学で結構歴史があるらしい。生徒ホールに学校の年表が掲示されていて、それを見るとなぜか万博だとか安保理の文字があるのだ。制服は開校当初から一度も変わっていない。校舎は何度か増改築をしていて陰湿な空気はなかった。ただ、それとは別に生徒が不満に思っていたことがある。「〜大会」が多いのだ。球技大会、水泳大会、マラソン大会、スキー大会、陸上大会(この大会は群を抜いて不評で、大会は三月もまだ雪が残る時期にある)。マラソン大会は陸上部の男子でも三時間は掛かるコースを全学年一斉に走る。高校からスタートして高校に戻ってくるので昼ごはんもゴールまでお預け、給水も公園等で各自行う。徒歩でもOKなので脱落する生徒はほとんどいない。私とみどりはその「ほとんど」に入ってしまうが。
 みどりは足をひねって、私は胃の中の水をもどしてNGになった。小・中一貫してマラソン経験のない私は呼吸の仕方すら分からず、おまけに水をがばがば飲んで走った。
まさか自分が公道でもどすとは。運よく養護の先生が近くで待機していたので、そのままけが人テント行きになった。
 そこに、みどりがいた。パイプ椅子に座って右足を体育教師に診てもらっていた。何度かやりとりがあった後、「内側にひねったな」で決着した。その次のセリフ、「佐々木は足で…、なんだ、竹原はゲロリタイアか」、そんな言葉で言わなくてもいいでしょうに。しかも用紙に書きながらということは、私はその言葉で本部に理由を伝えられてしまうのか。ショックを隠しきれず、しかし体育教師は気づかず。そんなときに、
「先生、ゲロで報告はキツイですよ」
「おお、そうか。そうかもな。よし」
と、体育教師が用紙を新しく書き始めた。みどりはなんでもないようにひねった足をぶらぶらさせていた。白い足、きっと日に焼けたらすぐ赤くなる足。手も白い、顔も。そして、初めてあのチョコレートビターの色の髪を見た。
 二年になってから文系・理系・看護系のクラス替えがあった。私とみどりは同じクラスになって、名前で呼び合うようになった。みどりは美術部で私は帰宅部。冬休み前に二人とも推薦で芸術系、文学部大学に進学が決まった。もうみんなと、みどりとも会えなくなるんだと思うとやっぱり寂しい。

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