如月裕

篳篥と射干玉のよるべ

しばらく経って、男がようやく竹細工から意識を離した。狐面が待ってましたとばかりに顔をあげる。
「終わりましたか」
誰が聞いても弾んでいると思われる声に男は、ああ、とだけ短く返した。
彼の手の中には確かに小さな竹籠があった。男は浅沓(あさぐつ)を履き、相変わらず柿の木から動かない狐面の方へと向かう。竹籠を目にした狐面は礼を言ってから竹籠を受け取ろうとした。だがしかし、男はひょいっと竹籠を上にあげる。
「ただではやらぬ」
「金をよこせと申すのですか」
狐面はわずかばかり首を下に傾け、悲しそうな表情になった。化生の身は人にとって価値のあるような品など持たぬと、そう言いたげだった。それもそうだと思った男は、狐面に言う。
「では、歌を一首詠んでくれ。それをこの細工の代としよう」
男が言うと狐面は、今度は嬉しそうに顔を上げた。
「そういうことなら、喜んで詠ませていただきます」
狐面は数瞬考えこんだのち、男に筆と紙を要求した。男が渡すと狐面は驚くほど綺麗な字で歌を書きつくった。そして筆と紙を返すのとほぼ同時に男は竹籠を狐面に渡した。男が歌を見るより先に、狐面は言う。
「仲間が呼んでいます。もう行かねばなりません」
彼の仲間が呼んでいるなど男には到底分らなかったが、狐面が化生にしか聞こえぬ声というものがあるのです、と申したので、そういうことにしておいた。まあ、仮に呼んでいないとしても、おそらくもうじき夜が明ける。化生の狐面にとってはつらい時間になるのだろう。
ふもとまで見送ろうかというと、いいえ結構ですと深々と頭を下げ狐面は返した。そして、くるりと高く空中で一回転したかと思うと、さっきまであった狐面と狩衣はどこへやら、そこには少し細めの狐が一匹いるだけだった。狐は作ってもらった篳篥の入っている竹籠を傷つけぬよう丁重にくわえると、せかせかと慌ただしく山を駆け下りて行ってしまった。見送った男は気が抜けたようにほう、とため息をつく。そして、狐面が残していった歌の存在を思い出し、ついとそれに目をやる。直後、自分がその歌の真意に気付き、赤面することなんて考えもせずに。

『ぬばたまの夜が明け刻が過ぎぬれどはかなき我はよるべ忘れじ』

アトガキ+++
お久しぶり、あるいははじめまして最近パソ子が絶賛全力反抗期中で奴に暴動起こしまくられて泣きそうな如月裕です。
その暴動の余波か原稿締め切り前日に書いてたデータが吹っ飛びやがりましてこれ二作目です。勢いで書いたら初の和物になりましたが何だこれって感じですね。文章かたいよ、自分。
歌の部分は限りなくスルーしてください。本当はちゃんとした所から引っ張ってくる予定だったのですが、時間がなくてまさかの自作で意味とか自分でも良く分かってませんから←
それではまた次回お会いできることを祈りつつ。お付き合いいただきありがとうございました!如月裕でした!

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