徐々に暗くなっていく森の中をしばらく走っただろうか、辺りはすっかり暗くなり、枝の隙間から星が輝いているのが見えた。
いくら鬼といえど体力が無限ではなく、前を向いて歩くのも苦しい。既に着物や肌は草で切れてボロボロになり、汗で髪が額に張り付いている。前を歩いている桔梗も同様だろう。
「…………おい、まだか?」
「そろそろ。やぐらに上って確認して来たから間違いない……ほら、あれだ」
立ち止まった桔梗の指差す先で、薄紅色の花弁がはらはらと落ちていった。
薄紅色が、はらはら、ひらひら。一枚、二枚。
見上げた先に満月の光を浴びて輝く、夜空の紺色に生える薄紅色の花をつけた太く美しい木が一本。これが。
「桜……」
呟いた瞬間ぶわっと一際強い風が吹き、萼を離れた花弁が沢山宙に舞った。
「雨みたいだな」
「ああ」
ふらふらと桜の根本まで行き、しばらく呆けたように桜の花を眺めていると、後から来て隣に立った桔梗が不意に溜息を吐いた。
「どうかしたか?」
「いや、な。折角こんないい景色なのに、隣に居るのが野郎だけとは……女の子も一人くらい誘えば良かった」
桔梗は肩をすくめ、やれやれといったように掌を上に向けて苦笑している。その頭に、花弁がひとつ。
「…………俺を無理矢理誘ったのはお前だろう……誘うあてがあるのか」
「ないけど。お前、ある?」
「ないな」
答えた途端、髪をぐしゃぐしゃにされる。痛い。
「あぁ、うん。だよな。葵だもんな」
「どういう意味だ大雑把桔梗」
「そのままの意味だよ。女みたいなおかっぱ葵」
花弁が頭に付いてるぞ、と笑いながら引き続き頭をぐしゃぐしゃと撫でられる。言っておくがお前も付いているからな。
お返しに渾身の力で頭を撫でてやろうとしたが、ひょいとかわされた。
「……俺さ、夢があるんだよね」
先程まで笑っていたのに、急に真顔になって呟くように言った。
「唐突だな」
「そうなんだけどさ、まぁ聞けよ。俺な、結婚するなら人間の子がいいなって」
噴いた。いや、俺が実際に茶を飲んでいたら驚いてそれを噴き出していただろうという話だが。
「え?え、いや待て桔梗。え?俺たち十二歳だぞ。え、えぇぇえ」
「落ち着け葵。俺はお前が目を丸くして驚いているところを始めて見たぞ。そんなに驚いたか俺の将来設計」
これを聞いて驚かない鬼がいたら俺はそいつを表彰したい。
「人間と言ったら悪い噂しか聞かないだろう?そんなやつらと?」
「だってさ、俺たちだって角さえ隠せば人間と変わらないだろ?だったら別に問題ないと思うんだよ」
確かに角さえなければ変わらないのだろうとは思う。が、俺は添い遂げたいなどとまでは思えない。それを口に出すほどのものでもないので黙って相槌を打った。
桔梗は少し照れくさそうに頭を掻く。
「俺たちだって人間が里に入ってきたら攻撃するだろ?相手は何をするか分からない。何かする前に攻撃してしまえと。向こうだって同じだと思うんだよ。得体の知れない、自分たちとは違うものが居たらそれに恐れを抱く」
だからさ、と桔梗は続ける。
「こう……頭巾で角を隠して近づけば、鬼だってだけで決め付けられずに仲良くなったり出来るんじゃねぇかなって。その後ならばれても大丈夫かなって」
最後の方は自信なさそうに声がしぼんでいった。
「……やってみるだけ、思うようにしたら良いんじゃないか」
誰も試してみたことがないから、絶対に無理だとは言わない。ただ「怪我だけはするなよ」と念を押しておく。そんなに甘くはないものだ。
「葵がそう言ってくれるとは思わなかったけど――ありがとな」
そうして二人で笑った。