かねて

僕は、気付かなかっただろう

そして、今に至る。
今現在、入学式一週間前。
自分はもう怯える必要はないのだと、京に言われ頷いたものの、 やはり、この震えを意識的に止める事は難しい。 胸の方では、何かものが引っ掛かったような感覚がして、もどかしい。
ここ最近では、何をするにも億劫であまり外に出る気分にもならなかった。
しかし、今日は京と約束をしていた。京の見せたいものを見せてもらうために。
胸を落ち着かせようと息を大きく吸った瞬間、携帯の着信音が部屋に響いた。 その音に一瞬、肩を震わせて、電話を取った。
『桜?』
向こう側から聞こえてきたのは、感情の込められていないような冷たい声。京だ。
「ん、何・・・?京?」
『俺の家の前まで来て。その近くに、見せたいものがあるから。』
「わかった。今出るから二十分くらいは掛かると思う。」
『あぁ、待ってるよ。』
すると、受話器の向こうから電子音が響いた。


外に出ると、太陽の光が温かかった。日の暖かさを感じると同時に、 今まで自分がどれだけ引き篭もっていたかを実感してしまう。 そんなことよりも、早く京の家に行かなくては・・・。 桜は、一思いに京の家まで走っていった。


家の近くまで行くと、家の前で二人が立っている姿が見えた。
大きく手を振ってみると、二人は、手を振るのは嫌なのか、ただ桜に向かって小さく微笑んだ。 その微笑を見て、桜は先ほどよりスピードを早くして二人の下へ走っていく。
「久しぶりやな。お前、ずっと家にいたやろ?肌がまっしろや。」
「うん、なんかやっぱり緊張しちゃって、何かするどころじゃなくて。」
「ま、無理することない。俺達だって、少しくらいは緊張してるんや。 京が見せたいものっていうのは、ここからちょっと歩くんやけど・・・お前、喉渇いてるやろ? じゃ、自販機でジュース買って飲みながら行こか。」
口では涼のことをぞんざいに扱ってはいるものの、彼のこういった優しさに桜はいつも助けられていた。
 中学一年の、あの教室で泣いていた時。彼は、俯いて泣いている自分の前まで来て、
「春日君?どうかしたんか?辛いことでもあったんか?」
涼はその返事を無理矢理求め何度も訊ねるわけではなく、その一言を言ったあとは、 何も言わずに壁に体を預けて自分から返事をするその時まで待っていた。
「・・・なんでもない。」
しばらく待って返ってきた言葉がこれだけであれば、 普通なら呆れてもう近寄らないところなのに、彼はただ
「慣れへん環境にいるんは、不安なことばかりやね。」
と言って、自分に柔らかい笑みを見せてくれた。
「俺は転校してきたばかりで、此処のこと全然知らんから、 上手く馴染めるかって転校が決まった時は、そりゃもう大慌てやったんよ。 今こうして春日君と話せてんのも奇跡やと思うくらいにな? あ、俺の一方的な話やから会話やないな。」
今考えると、涼は相当不安だったのだろうと思う。
しかし彼は、自分自身が転校してきたばかりだというのに、 教室の隅で泣いている自分を心配して、声を掛けてくれた。
その優しさに、桜は感謝しなければいけなかった。

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