かねて

僕は、気付かなかっただろう

外から聞こえる鳥の囀りに耳を傾け、大嫌いだった春を感じている青年・・・ よりは少年に近い風貌の彼の名は、春日 桜(かすが さくら)という。
彼の名は、春の暖かい陽光の中で咲き乱れる桜のように、だれかを優しく、 温かく包み込めるような子に育って欲しいという思いを込めて付けられたらしいが、 本人はこの名前が嫌いだった。 男なのに、女っぽい名前。そして何より、「春」という文字が・・・。
・・・いや、嫌いなのは、「春」という季節だ。
本人曰く、春の雪解け水は、お気に入りの靴を汚し、 車は道路わきの水溜りの水を跳ね、車は汚れ、近くに在る物をも汚していく。 その上、雪が中途半端に解けたと思えば、その晩、氷点下になると路面はアイスバーンだ。 危険な事この上ない。暖かい日、寒い日と繰り返されるため、路面はそんな状況を繰り返し、 そして、人々は、どんな服を着て良いものかと迷う。 今日は、寒いかしら、なんて厚着をしていけば、買い物しようと店に入ると熱さに若干の汗を流し、 暑くなるかも、なんて少々薄い服を着ると、薄ら寒い風が身を震わせるのだ。
そんな、何もかも曖昧な季節は、春だけではなく秋も同じ事が言えたが、 彼にはその他に春を嫌う最大の理由があった。
入学式だ。小学校生活六年間の中で、彼はイジメにあった経験を持っていた。 それは、高学年になるほど、悪質になっていった。 最初は、冗談半分でからかわれる程度だったのが、物を隠したり、捨てたり、 壊されたり、集団で囲まれ、言葉の暴力にもあった。唯一、救いであったのが、 彼らは肉体的暴力をして来なかったことだ。 体に痣なんて残れば、親に質問攻めにされるのは必至であったことだろう。
そんな経験をすれば、誰だって入学式、 クラス替えという春の行事を嫌いにならざるを得なかった。
入学式近辺になると、ただでさえ人より色白の顔を、 いっそう青白くして、消極的な想像を頭の中で繰り広げていく。
―また、僕は苛められるのだろうか。
過去の記憶に怯えながら、彼は呟いた。
そんな不安は、高校生になろうとしている今でも消えることはなかった。
今現在、彼は入学式を一週間後に控えている。

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