東雲

泡沫の物語

空き地までは道が一本しかなく、迷うこと無く着いた二人は、鬼を発見した後、近くの茂みに隠れて様子を見ることにした。
「暇ね」
「そうだな、長閑なもんだ」
しかし鬼が襲うような気配は微塵も無く、既に三時間が経過し、二人は徐々に苛々し始めていた。 子供達の楽しそうに笑う声がそれを増長する。
「なぁ、もうそろそろ鬼を捕らえて、どういうつもりなのか問い詰めた方が早いんじゃないのか?」
「そうね、黄昏時も終わり頃になったし」
二人が痺れを切らして出て行こうとしたその時、鬼の後ろから黒い霧の様なものが急速に接近しているのが目に入った。 その黒い霧には真紅に輝く双眸が付いていて、ただの霧ではない事を示している。
「禍!?何でこんな時に限って!」
鬼も子供も、誰一人として禍の存在には気づいていない。このままでは、全員喰らわれてしまうだろう。
「千早!」
「分かってる!・・・・・・白晶・解放」
千早がそう唱えると奏の姿が消え、彼女の栗色の髪は白銀色に、茶色の瞳は昼間の空の色に変わった。
《禍はまだ俺たちの存在に気づいていない》
頭の中から、楽しそうな奏の声が響いてくる。
己の魂魄を一時的に契約者の中に宿らせ、その間、個々が持つ特殊能力を貸し与える――それが貴石の力だ。
「よし」
千早は一瞬で彼らと禍の間に躍り出る。白銀の髪が夕陽を映して橙色の光を放った。
「そこ!頭を下げてないと巻き込むから注意して!!」
一応警告をしたが、突然すぎる出来事に鬼はおろか子供達まで呆然口を開けてと千早を見つめている。
「警告はしたからね!」
そう言い放ち、禍へと視線を戻す。距離はあと三尺ほど。
「風司る神獣・白虎よ、今我にかの者を滅却する力を与え給え」
呪文を唱えると同時に周囲に風が渦巻き、右手に向かって収縮し始める。梢が揺れ、木の葉が中に舞った。
「――清封浄風!」
収縮した風を一気に放つ。瞬く間に禍は滅却され、霧散した。再び空き地に静寂が戻る。
「さて、と。禍も消えたから、そこの鬼と少し話がしたいの」
一仕事を終えた顔で千早は振り向き、鬼を見据える。 鬼は緊張した面持ちで二、三歩後退すると、身を翻して脱兎のごとく森へと走り出した。
「あ、ちょっと待ちなさ――うひゃあ!」
走り出そうとしたとき突然目の前の景色が緑一色になり、猛烈な草の香りが鼻をついた。
《・・・何をやってるんだ》
「走ろうとしたら、いきなり衣の裾を掴まれたのよ」
体を起こし立ち上がると、子供達が千早を睨みながら手を広げて立ち塞がっていた。千早は苦笑を浮かべる。
「あのね、私はあの鬼を追いかけなくちゃいけないの。そこを除けてくれる?」
「よけたら、こくようをころさない?」
四歳ほどの女の子がおそるおそる口を開く。どうやら鬼の名前は黒曜というらしい。
「え?」
「村のみんなが言ってた。貴石使いが来たら黒曜を殺してくれるだろうって。だから通さない」
「黒曜は一度も誰かを襲ったことないのに」
子供達は口々に話し出す。中には話しながら涙を零している子もいて、千早は内心驚いた。
《数年前からとはいえ、随分と慕われたものだな》
奏が感心したように呟く。
「そんな事言われても・・・依頼された仕事だから」
「じゃあ、おれからも依頼するよ。黒曜を殺さないで」
そう言ったのは先程「通さない」と言った十一歳ほどの少年だった。千早を見つめる瞳には、迷いが一切ない。
「仮に依頼を受けたとしても黒曜が人に仇なす鬼なら、私は依頼を守る事はできないわ。それでも?」
「黒曜は悪い鬼じゃない、だからそんなこと絶対ない!」
「分かった。分かったから子供は家に帰りなさい。もう暗くなるから、両親が心配してると思うわよ?」
笑顔でくしゃくしゃと少年の頭を撫でると、恥ずかしそうな微妙な顔をする。
「わかってるよ、依頼、ちゃんと守ってよ!!」
「はいはい、分かったから行きなさいって」
子供達は時々不安そうに振り向きながら、村へ帰っていった。 それをしっかりと見届け、千早は大袈裟に溜息を吐く。
「奏、肝心の黒曜を見失ったけど、まだ近くに気配はある?」
尋ねてから少し間をおいて面倒くさそうな返事が返ってきた。
《あー、それだけどな、よっぽど子供が心配だったらしくて、今まで森の入り口辺りで様子を見てたみたいだぞ》
「・・・・・・過去形?」
《今は奥に向かってゆっくり進行中だ。暗くなったから追いかけて来ないと思っているんだろうな》
森の入り口までならそれほど遠い距離ではない。幸い追い風が吹いているから、歩いているなら急げば追いつけるだろう。
「よし、追いかけるよ!」
掛け声とともに千早は走り出す。奏の属性・風を利用し、追い風に乗ると見る見るうちに森の木々が近づき、森の入り口に到達した。
《千早、左斜め前だ》
奏がいった方向を見ると、微かに後姿が見えた。
「あれね・・・風よ、我が意思を読み取り、かの者を縛せ」
周囲に吹いている風が球形に鬼を囲い、動きを封じる。近づいていくと、黒曜は弾かれたように此方を向いた。
「お前達か」
「その通り。私は千早、貴石が奏よ」
黒曜の表情からは隠しきれない悲しみの色が見て取れた。
「我を殺せと依頼されたのだろう?捕らえたのに、何故直ぐに殺さぬ?」
「・・・貴方、外見に似合わない変わった話し方をするのねぇ」
千早がにこやかに話しかけるが、黒曜は無表情のままだった。
「そのような事はどうでも良いだろう、問に答えろ」
「貴方を退治しろ、という依頼と、殺すなという依頼を同時に頼まれてね、貴方がどんな鬼か見てから決めることにしたの。
場合によっては助ける事もできると思うけど?」
「元より助ける気などないくせに。白々しい嘘も大概にしろ」
黒曜は顔をしかめ、そっぽを向き、
《ひねくれてるな。村の子供といる時とは大違いだ》
頭の中では、奏が率直な感想を述べた。
「そんなに信じられないなら、証拠を見せても良いわ。 貴方が逃げ出さずに私と話してくれるなら、術を解いても良い。 でも逃げたなら悪鬼だと判断して遠慮なく攻撃する。どう?」
「・・・ならば先に術を解け。逃げはしない」
落ち着いたように話しているが、黒曜の声は不信感が顕わだ。
「貴石、封印」
貴石との同化状態を解き、同時に術も解除される。変わりに奏が千早の隣に現れた。
「どう?術を解くどころか、貴石との同化状態も解いたけど」
「これで俺達は丸腰だ。こんな距離なら同化するよりあんたの攻撃の方が早い。おまけに刀一本持ってないからな」
奏はそう言いながら、手をひらひらさせて遊んでいる。そんな二人を黒曜はしばらくの間見つめ続けた。
「・・・分かった、信じる」
そう言うと一回深呼吸をして、黒曜はゆっくりと話し始めた。

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