東雲

泡沫の物語 ‐弐‐

隣村に、(マガ)が出たと。
実は先月も、禍が出ていたというじゃないか。
聞いた聞いた、今度は村長の一家が全滅したらしい。
年を越す度に、禍々の数が増えているとか。。
おそろしや、おそろしや。
その点、我々の村では近年一度たりとも禍が出た事はない。
山神様にきちんと供物を捧げているからだろうて。
あぁ、そうに違えねぇ。
そうそう、他の村は山神様に供物を捧げたりしないのだと。
何と罰当たりな。
禍に村を襲われぬ為にも、この風習は伝えていかねば。
けして途絶えさせてはならん。
けして、けして、忘れてはならん。
ほら、雪が積もり、今年もこの季節がやってきたよ。
暮新月がやってきたよ。
供物を捧げる月がやってきたよ。

さあ、今年は一体だれを、捧げようか。


―――禍≠ェ紗環国に出現してから、もうじき三百年。
突如現れたその物の怪は人を喰らうことで力を増し、妖魔にとり憑き、惑わし、狂わすという怖ろしい力を持っていた。 かつては栄華を極め、桃源郷とさえ呼ばれ緑豊かだった紗環の面影は無く、その衰退の様は一目見れば分かるほど。
古くは呪術師や神官が禍に対抗していたが、彼らは一時的に退けるだけであり、滅却するほどの力を持ってはいなかった。 木は折れ、土は痩せ、民家は無残な家の中を空に晒して、その時の世界にあったのは、深い絶望だけだったという。
後に貴石≠ニ貴石使い≠ニ呼ばれる禍を滅却する力を持つ者達が現れてからというもの、 その数は徐々に減っていったが貴石の数はけして多くはなく、村人が禍に襲われ殺されたという話は、現在も稀ではない。
それ故、田舎のいくつかの村では独自の風習ができていった。


暮新月・五日。
太陽が未だ昇らず闇が覆っているころ、一面白銀色に染まった森の中を提灯の灯りがひとつ、揺らめきながら進んでいた。 その持ち主の少女が着ている着物は全て白く、その為か顔は青白くなり、栗色の長い髪以外は雪と同化してしまっている。 まもなく粉雪がちらつき始め、首巻や外套ひとつ羽織っていない体は益々冷えて、吐く息はより一層白く浮かび上がった。
「祠まで後どれくらいなのかな・・・」
そう、何の目的も無くこの季節に森の中へ入ったわけではない。村奥の森の中にある山神を祀る祠まで行く為なのだ。

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