ロマンキコウ

負け犬クンの話

 僕のアダ名は「負け犬クン」。別段何かに負けたと言うわけでもないが、学級の五分の四の生徒さんたちはそう呼んでいる(五分の四は僕の推測である、はっきりとした確証はない)。僕の身体のしくみや内臓器官、骨格、その他諸々が「ヒト」であるのにもかかわらず、犬の耳、犬の尾、鋭すぎる嗅覚を持っているということが、僕がそのように呼ばれている理由かもしれない。しかし僕は、理由はそれだけではないと思っている。その五分の四の生徒さんたちも、そう思っているだろう。思っていなかったならば、同級生のタドコロ君も「負け犬」と呼ばれているだろう。しかし、彼はそのようなアダ名で呼ばれていないどころか、僕のことをその嘲笑の混じった名で呼んでいる。「では、最たる理由は一体何か?」と尋ねられたら、僕はこう答えるだろう。
「聞かないでよ、そんなこと。」
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 枯葉が道端でカサカサとささやき(本当にささやくこともある)、冷たい風が頬を撫で、はるか上空に出来たうろこ雲によって、空自体が高くなったように感じさせられる、ある晴れた秋の日、僕は公園のベンチに座っていた。紅葉したモミジやら何やらを鑑賞しに来たのだ。すぐ近くで、冷蔵庫やら電気スタンドやらが寒さなんてどこ吹く風と言わんばかりに、ジャングルジムではしゃいで遊んでいた(比喩ではない。本当に遊んでいるのだ)。晴れた空に吸い込まれていく子供たち(電化製品)の声を横目に、僕は毒々しい、濁った灰色に染まったイチョウの葉の舞う中から、遠くの質素で、もの悲しげな紅や黄に染まった葉を散らすイチョウの木を、ぼぅっと眺めていた。ここの空気は少し淀んでいるが、都会のものよりはマシであった。都会の空気は汚すぎる。何もかも排気ガスの混じり合った、気持ちの悪い臭いにおいがする。それに比べて、この郊外の公園の空気には、不快な要素が少ししか含まれておらず、そのわずかな要素を打ち消すように、様々な香りがあたりを包み込んでいる。例えば、土の匂い、草の匂い、木の匂い、舞い落ちる葉の匂い、そして落ちた葉が積み重なった匂い、猫の匂い、女の子の・・・・・・。
 猫?女の子?
僕がベンチの空きスペースのある方向に、目を向けると、匂いの主がそこにいた。いつのまにか僕の隣にちょこんと座っていた、同級生のニイジマさんであった。僕は少し驚いた。
「こんにちは。」と、ニイジマさんは微笑みながら言った。僕はいっしゅん戸惑った後、「こんにちは・・・。」と、返事をした。
 ニイジマさんは僕と同じように、「ドウブツ」の耳と尾を持っている。ただ、それは猫のもので、僕にはない暗闇でも難なく物体を見ることが出来る目も持っている。いわゆる幼馴染と言う奴で、同じマンションに住んでいる、ご近所さんでもある。昔はよく人形遊びや、交換日記などをしたものであるが、小学校後半からは何故か会話する機会が減り、今現在、高校生活においては、すれ違ったときのあいさつすら、滅多にしなくなっていた。しかし今、彼女は平然と僕の隣に座り、微笑みながら話しかけてきた。
僕の脳内では、同世代の者の半分以上が、紅や黄に紅葉するイチョウの木を綺麗だと言い出すレヴェルの事件だ。
 それから僕は、ニイジマさんが手提げバッグから取り出した、温かいココア缶をもらい、軽く礼を言い、それを口の中に流し込んだ。少しの間沈黙が流れた後、ニイジマさんの声が、僕の耳に届いた。
「マサキ君もイチョウを見に来たの?」
「あ・・・う・・うん、そうだけど・・・・・。」僕は答えた。
「よく来るの?」
「ああ・・・うん、ときどき来るんだ。」
 彼女は、『つめたい』缶ココアを飲んだ。猫舌なのだ。猫だけに。
「・・・・・。」
「・・・・・。」
「なんでだろうね。」
「え?何が?」
「なんでみんな、向こうのイチョウよりも、こっちの灰色の方が良いって言うんだろうね。」ニイジマさんは、遠くの質素で、もの悲しげな紅や黄に染まった葉を散らすイチョウの木を、指さしながら言った。
「う、うーん、なんでだろうね・・・・・。」
 このとき、僕はちょっと嬉しくなった。自分と同じ考えを持つ人に出会えたからだと、僕は思う。この人なら、僕の考えを全てじゃなくても、ほんの一部くらいは理解してくれるだろう。しかし僕はその「自らの考え」を口で伝う度胸が足りなかった。言葉が出てこないのだ。「負け犬」と呼ばれるようになってから、言葉少なになってしまったのが原因かもしれない。しかし、僕はこのとき、そのようなことを考えることもできなかった。
 しばらく、途切れ途切れの会話が続いた。ひとまず、それは言葉のキャッチボールとはいえなかった。僕に言葉が届いたところで、僕と彼女のやりとりは終っていた。
 いくつかの会話が静寂に溶けた後、彼女が手提げバッグをごそごそと探り、その後、僕に小さな石を差し出した。そして彼女は口を開いた。
「これ知ってる?」
「?」僕はそれが何であるか本当に知らなかった。僕は、それが石であること以外の解釈ができなかった。意味もなく、彼女がただの石を差し出したとは到底思えなかった。だから、僕は聞いてみた。
「それは?」
「『幸運の石』だよ。本当に知らないの?今、全国で『トライバル・コミューン』の次に流行っているものなんだよ?」 「トライバル・コミューン」といえば、この国の全て(?)老若男女に大人気の商品である(どのようなものかは知らない。というか、興味を持てない。しかし、僕は一日に一回は、その単語を聞いている。これは間違いない)。それと同列にあるものなのだ。
 僕はその小石の事を、もう少し知りたくなった。僕は、それがどのようなものであるのか、ニイジマさんに尋ねてみた。
「これはね、持っていると幸せになれる石なんだって。友達もみんな持ってて、乗り遅れたくなかったから買っちゃったんだ。まあ、幸せになったかどうかはわかんないけどね。だけど、この石を持っている人は、十二月二十五日に『奇跡』を視る事が出来るんだって!今朝のテレビCMで言ってて、ちょっと気になっちゃった。あ、それと『奇跡』は十二種類あって、当日まで何を見る事が出来るのかは分からないらしいよ。」
「へぇー。」
「駅前のコンビニで買ったんだ。マサキ君にあげるよ。」
「え?いいの?気になってたんじゃなかったの?」
「私はまた買うから大丈夫。まあ、お守り程度に持っといてよ。」
「あ、ありがと。」
 僕はちょっと笑顔になった。
「あ!もうこんな時間?」公園に設置されている時計を見て、ニイジマさんは、はっとしたように言った。
「私、行かなくちゃ。親戚のおじさんが家に来るの。それじゃあ、またね。」
「うん、またね。」

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