獄華蓮

コミカルな策略家は笑う

翌日、彼が自らのクラスであるF組に足を踏み入れた時、教室の中は騒がしかった。原因は人が集まっている、窓側の一番後ろの席あたりであろう。ここで彼は足を止めた。「窓側の一番後ろ……って俺の席じゃなかったか!?」と思ったからだ。彼は自分の席に足を進めた。しかし彼はそこで見た光景に愕然とした。
「霜月、先輩……」
楽しそうに笑っている彼女が彼の席に堂々と座っていたのだ。何故クラスメイトたちが目をそらすのではなく、むしろ彼女を囲んでいるのかは疑問だったが、その時の彼の頭の中にはそんな疑問はなかった。疑問はただ一つ、何故こんな朝早くに彼女がここにいる、と言うことだけだった。彼は自分の席から少し離れたところで無意識に彼女の名前を呼べば、彼女も気付いたようで彼に向かって手を振った。
「少年ー会いに来たぞー」
「その呼び方止めてください!」
そう口では言ったが、実際今の彼の頭の中は呼び方どころではない。彼は気が動転してどうにかなってしまいそうだった。とりあえずこの場では話にならないと思った彼は、自分の鞄を机の横に乱暴に置き、彼女の腕を掴んで教室を出た。そんな彼の行動に、彼女はニコニコと笑ったまま従った。

「拓海ってば大胆なんだからー」
彼女は教室から出てすぐに、彼をからかうように言った。一方彼は、そんな言葉よりも、これからどこに行くか悩んでいた。すると彼女はその悩みに気がついたのか、今まで彼の一歩後ろを歩いていたのに一歩前に出た。勿論、彼女の腕から彼の手を外させ、彼女が彼の腕を引っ張って。
そのまま彼女が向かったのは屋上だった。階段を上がれば屋上の扉がある。しかし彼は不思議に思った、屋上の鍵が閉まっていたことに。それと同時に、昨日鍵が開いていたことに。彼が大人しく彼女を見ていたら、彼女は自分の髪の毛を止めていたピンを外して少し変形させ、鍵穴に入れた。暫く彼女が鍵穴の中でピンを動かしていたら、カチャと音がして、鍵が開いた。彼女はそのピンをブレザーのポケットに入れ、扉を開けた。
「それって犯罪じゃないんですか?」
「気にしないの。これでも私、ピッキング得意なんだ」
「そんな情報いりませんから」
屋上はまだ少し肌寒かったが、我慢できないほどではなかった。彼女は真っ直ぐ歩いて行き、フェンスの前まで行って地面に座り込んだ。彼もそれに続き、彼女の横に座った。
「なんで教室にいたんですか?」
彼はさっきからずっと気になっていた質問を、彼女に投げかけた。彼女は一瞬彼の方を向いたが、またすぐに前を向いた。
「昨日会いに行くって言ったじゃん。で、よく考えたら今日、一年は昼休みないんでしょ? だから、来た」
「……何故昨日、俺に会いに行くなんて言ったんですか?」
そう問うと、彼女は少し眉間に皺を寄せた。しかしすぐにまたニコニコと笑って口を開いた。
「拓海にまた会いたいって思ったんだよ」
横顔だけじゃ、冗談なのか本気なのかはわからなかったが、恐らく冗談だろうと、その時の彼は軽く流した。それより、今の彼は昨日の疑問を解決しなければならなかった。
「昨日、全部お見通しだったんですか?」
「何が?」
「俺がチャイム前に教室に戻ったらサボりがばれてしまうことと、あの場に生徒指導の先生がいたこと」
思いきってすべてを言った。彼女はニコニコと表情を変えないまま、「さぁ、どうでしょうか」と曖昧な返事をした。しかし曖昧な返事をすることから、多分お見通しだったんだろうと彼は勝手に結論付けた。
そのあとはどちらも口を開かなかったが、不思議と気まずい雰囲気はなかった。先に口を開いたのは彼の方。彼は彼女に「ありがとう、ございます」と小さな声でお礼を言った。すると彼女は今までのニコニコした表情以上に笑顔を彼に見せた。その表情が急に真面目になった瞬間、彼女は思い出したように「あ、そうだ」と言った。
「拓海、部活どこ入るの?」
「まだ聞くんですか……」
「いいじゃん教えて!」
彼は半分呆れていたが、彼女は本気のようで、引く雰囲気を見せなかった。そんな本気な彼女を見て彼は思わず笑いそうになったが、そこは耐えて「射撃部です」と答えた。彼女からしてみたら、案外すんなり答えが返ってきて嬉しい半面、つまらないと言いたそうな表情をしていた。そんな百面相な彼女を見て、とうとう彼が笑った。
「あ、拓海笑うな! でもすごいね、射撃か」
「趣味なんですよ、射撃。そういえば先輩、俺のこと呼び捨てで呼ぶ気ですか?」
彼がそう聞けば、彼女は驚き、急に真剣な顔をして彼の方を見た。
「だって少年って呼ばれるのは嫌なんでしょ? 私、名字で呼ぶの好きじゃないから下の名前で呼ばせてよ。あ、私のことも勿論名前で!」
「はぁ……別に構いませんが。……心先輩」
そう彼が名前を呼べば、彼女はひっそりほほ笑んだ。
「な、なんか恥ずかしいね。でも今まで後輩いなかったから、心先輩って呼ばれるのってなんだか新鮮!」
そんな彼女の台詞に、彼まで恥ずかしくなったようで、彼は顔を少しだけ赤らめた。
「あ、そろそろ教室戻る? それともサボる? 私はサボるけど」
「サボりませんよ、こんな入学したての時期から……」
「ちぇ、残念。あ、行くならもうそろそろ行かないと、一時間目に間に合わないよ。今の時間なら小池いないし」
彼女は自分のブレザーとブラウスをまくって、自分の腕時計を見ながら言った。彼女がどの時間に生徒指導の先生がいるかなどまで把握していることから、彼女は結構な確率で屋上でサボっているんだろう。彼は彼女の横から立ち上がって軽く礼をした。
「それじゃあ先輩、俺行くんで。勝手に人の席にいたりしないでくださいね。心臓に悪いですから……」
「了解、そしたらまた明日、会いに行くから待っててね!」
彼女のそんな声を聞きながら、彼は扉に向かった。「明日も来るのか……」なんて呆れながらも、少し顔をほころばせて彼は呟いた。扉の下に人影はなく、彼は無事に教室に戻ることが出来た。
翌日、また楽しそうに笑う彼女が彼の席に座っていて、後輩である彼に椅子から引きずり降ろされたのは、また別のお話。

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