梔子いろは

「行きはよいよい、帰りは…」

《二ノ話・生井真赤(いくい まあか)》

二番手は初めてですね。よろしくお願いします。さて、今回はどんなお話をいたしましょうか。…そうですね、では僕の名前の由来、ということにしましょうか。これも中々に不思議な話でしてね。皆さんの興味をそそれるかどうかは分かりませんが、しばしの間お付き合いください。
知っての通り、僕の名は生井真赤と言います。生きた井戸が真っ赤と書いて、生井真赤。最近由来を聞いたんですよね、いやはや、今更ながらお恥ずかしい話です。
さて、この苗字の《生井》には、生きた井戸という意味があります。これは僕の家系の先頭に立つ人物、宇野衛門由介が付けた姓でしてね。一応は侍ですが、副業として農家もやっていました。自給自足ってやつですかね。まぁ、その時代では当たり前のことだったんでしょうけど。そうそう、それで彼はある日畑を耕していたんです。そうすると、鍬が固い所にぶち当ったんです。中くらいの石だったと文献には書いてありました。彼はそれを退かそうと思い、引っ張ってみましたがビクともしません。仕方なく鍬でその固い石を割ることにしたんです。カチーンと大きな音が響き渡った後、呻くような声が漏れて、石は綺麗に真っ二つに割れました。そうすると、不思議なことに割れ目からどんどん水が溢れてきたそうです。透き通った美しい水が、石の中から湧いているんです。普通じゃ考えられないでしょう?ご先祖様も大層驚かれたそうですよ。それから彼は井戸を掘りました。今まではわざわざ遠い川まで飲み水を汲みに行っていたのですが、それをする必要はなくなりましたからね。さぞ喜ばれたことでしょう。石は、井戸の底で水を湧かせ続けましたよ。十年、三十年、五十年、百年、遂には三百年と経ちましたが石から溢れる水は尽きることがありませんでした。まるで生きているかのように水を湧かし続けることから、生きた井戸、つまり生井の名を頂いたんですね。その間当主が変わること十七代。十八代目の時に、その悲劇は起きたそうです。
十八代目の生井家当主の名は、生井若松之衛門と言います。彼は、非常に気の荒い人物だったようです。気に食わないことがあると弱いものにあたったりと、周囲からの評判もすこぶる悪かったようで。彼には密かに恋い焦がれていたお涼という米屋の娘がいました。気立ても良くて、美しい娘さんだったそうです。若松之衛門はどうにかしてこの娘を嫁にもらおうと画策していましたが、お涼には既に婚約者がいたのですよ。紺之介という誠実な若者が。そして二人はもう少しで結婚するという時期まで来たとき、若松之衛門は決意しました。紺之介を殺して、お涼を自分のものとする決意を。そうしてからは簡単なことです。夜道で紺之介を襲い切り殺し、死体は発見されないよう自分の家の井戸に放り込みました。えぇ、例の生井″にです。そして婚約者を行方不明という形で失ったお涼に取り入った彼は、見事に夫という地位を手に入れます。皮肉なものです、愛していた男を殺した男の元に嫁ぐなんてね。
ある日のことです。結婚して数年経ったある日のこと。酒の席で若松之衛門はうっかりお涼に真実を話してしまいます。酔っぱらった勢いってやつです。昔愛を誓った紺之介が井戸の底に眠っていることを告げられたお涼は、生気を失くした顔でふらふらと井戸の方へ向かうとそこに身を投げました。いやあ、愛の力は素晴らしいですね。死してなお紺之介はお涼の心を放さなかったんでしょう。黄泉の国で、二人は結ばれることは出来たんでしょうかね?答えは神のみぞ知る、と言ったところでしょうか。しかしその話は置いておいて。若松之衛門は慌ててお涼の後を追いましたが、時既に遅しです。彼女は事切れて水の中に浮いていました。そしてその時です。井戸の水が今までの清水でなく、濁った赤いものに変わったのは。それから数週間後、若松之衛門は自害しました。それが死んだ二人の呪いなのかは分かりませんがね。水は透明に戻ったそうです。 それから幾度、生井の水が赤く染まることがあったそうですが、その時は必ずその年に生まれた子供に災厄が降りかかると言われています。もうお分かりでしょうが、僕が生まれた年に井戸は赤く染まったのですよ。そこから「真赤」という名になったのです。僕にはいったいどんな災厄が訪れるというのでしょうね。不思議な現象を身をもって体験できると考えれば、それほど恐ろしいことではありませんから、少し楽しみです。
さて、少しはこの拙い話、楽しんでお聴き頂けたでしょうか?これにて僕の話は終わります。では狂巳さん、どうぞ。

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