梔子いろは

「行きはよいよい、帰りは…」

《三ノ話・至愛狂巳(しあい くるみ)》

 真赤の話、なかなか興味深かったわね。ふふ、いいわ。私も私の名前の由来、話しましょうか。これは一人の狂った女の恋物語よ。その伝承から私の名は取られているの。
ある村に雪慈という名の女がいたわ。貧しい家庭だったけど、夫と二人暮らし、何も不自由なことは無かった。女は裏切られるのが大嫌いな性分でね、夫の一切の浮気を禁じたの。でも彼女の夫は女好きな性格でね。結ばれる前は随分沢山のガールフレンドがいたそうよ。そんな中、悲劇は起こってしまうのよね。
悪事はいつか必ず見つかってしまうものよ。夫も元々そういう性分ですから、隠しきれないほど付き合っては別れを繰り返してきたんでしょう。その中の一つが、運悪くと言ったらいいのかしら。まぁ、雪慈に見つかってしまったの。彼女は怒り狂って夫を問い詰めたわ。彼女の大嫌いな裏切りですもの。散々怒鳴り散らしたころ、夫がふと言ったの。じゃあ俺たち別れよう、こんなことを言ったのよ。彼の心はすでに雪慈から離れて行ってしまっていたのね。他の女のところで暮らしたいという夫に、それはそれは怨みがましい眼を向けれど、離れた心はもう戻らない。三日後に、二人は離婚したわ。まぁ、ここまでだと大した話じゃないわよね。
驚くべきことはここからなの。想いを寄せていた別の女と晴れて一緒に住めることになった夫は、浮かれながら暮らしていたわ。今までのような窮屈な家庭ではなく、自由気侭に過ごしていける。雪慈との生活を振り返ると、今の女と生活の方が断然魅力的だったんでしょうね。さて、そんなある日のこと。幸せの終焉は突如として訪れた。雪慈と別れてから二週間後、突然その彼女が夫とその女の住む家を訪ねてきたのよ。そして彼女は夫にこう言ったわ。本当に自分を裏切ったのか、って。今ならまだ許してあげるから、って。もちろん、そんなこと言われても戻る気持なんかない。もう帰ってくれ、これ以上俺の前に姿を見せるな、夫は粘る雪慈にそう告げた。彼女は一瞬で無表情から般若の表情へと変えると、大きな大蛇に姿を変えたの。そうして、夫の想い人であった女を噛み殺した。食いちぎって形も分からなくなるくらい咀嚼して、夫の前にぽろんとそれを放ったの。お前もこんな風にしてやる、といった意味だったんでしょう。大蛇はニヤリと笑うと、まず逃げ出す夫を眺めているだけだった。私を裏切った男に絶望を、苦しみを、破壊を。歪んだ心は、雪慈を妖怪へと変貌させたのよね。やっと男が逃げおおせた、と安心する頃にまた蛇は前に表れて今度は紅い舌をちょろちょろ見せて、脅すのよ。ふふ、可愛さ余って憎さ百倍ってやつね。男はまたも逃げるけど、今度も大蛇は追わないわ。ゆっくり、ゆっくり、どこに逃げても同じだと、絶望を味わわせるために。
今度こそ、と安心した男またも大蛇は脅すのよ。鋭い牙から血の混じった涎を垂らし、ニヤニヤ笑うの。そして男は生きるためにまた逃げる。それを大蛇は待って、それから追う。これを延々一晩中続けたころに、男はもうボロボロで諦めてるの。俺はもう助からない、いっそのこと、苦しまずに食われてしまおう。ってね。でも、苦しまずに死ぬことなんて誰が許したの?と言わんばかりに、大蛇はじわじわ男を嬲り殺すのよ。最初は腕を、次に足を、至る所を甘噛みし、痛い苦しいと喚き散らす男に満足げに微笑んで、最後はぺろりと一口でその絶望と恐怖を頂くの。どんな甘美な味がするんでしょうね、うふふ。その味は何でも忘れられない素敵な味だとか。その後、雪慈は永遠の命を得て、今も男を誑かし、裏切った者を美味しく頂いているそうよ。
愛が至上の狂った蛇、で至愛狂巳。どうかしら、私の名前の由来、お分かりになって?
 あ、そうそう。余談だけど、最近この大学の男子学生が連続して行方不明になっているそうよ。私の所に警察が事情聴取に来たもの。何でも消えた男たちの共通点、全員私と別れた男なんですって。うふふ、私が何かしたのではと疑っていたけど、証拠もないしお帰りいただいたわ。迷惑な話。こんなか弱い女子大学生に、何が出来るって言うのかしらね。まぁ、雪慈のような大蛇であれば可能なんでしょうけどね、ふふ。男性の皆さんもお気をつけ遊ばせ。女の恨みは思ったより恐ろしいものなんですから。
 さ、私の話はこれでお仕舞。次の話、どうぞ?

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