南阜

春の奇跡

「真紀子、どうしたの?」
「ごめん〜、教室に忘れ物しちゃったみたい! すぐ戻ってくるから待ってて〜」
そういうと佐藤 真紀子は廊下を一直線に走り出した。真紀子が教室に入ろうとすると、椅子に一人の男子生徒が座っていた。「あっ…」と真紀子が思わず声を出すと、ようやく人が居ることに気付いたのか、その男子生徒は真紀子の方を向いた。
「あ。佐藤、どしたの」男子生徒の名前は宮本 春樹。ぼさぼさの頭に、黒縁の眼鏡をかけている人だった。春樹は一人、暗い教室で読書をしていたようだった。
「宮本くんは誰か待ってるの?」
真紀子が春樹に訊くと、春樹は静かに頷いた。春樹の目線は本のまま。
「そうなんだ〜」と真紀子は言うと、自分の席の机の中をみて、忘れ物を取った。
春樹はすっと立ち上がり、鞄を持ちあげ、廊下に出ようとしていた。
「あのっ! 宮本くん!」真紀子が春樹を呼び止めた。春樹は突然呼び止められ驚いた。
「…わたし…宮本くんのこと―――――」
宮本 春樹、高校一年生の三月初めの話。



 翌日
ピピピ…目覚まし時計の音が部屋全体に響き渡る。ガツン、ガッシャン…思い切り時計が掴まれ、投げ飛ばされるような音がした。目覚まし時計を投げた本人は気付いたのか、ようやく起き上がって物凄い形相で部屋を見回した。向こう側の壁のところの床に粉々になった目覚まし時計があった。
―――――あれ、今何時?
のそりと起き上がってベッドの近くに置いてあった眼鏡をかけた。壁にかけてある時計の示す時刻は八時五十分。
「うっわ! 遅刻!」
慌てて布団から出るも、部屋は寒かった。寒さに負けて布団の中に入ってしまう。
「寒い、無理、無理…」とぼそぼそと呟きながら布団に潜り込もうとしたら、うるさい声が聞こえた。
「おーい、春樹!」間抜けた声。春樹の友人の、前田 優だった。
―――――あれ? アイツも学校じゃなかったっけ?
「起きてんだろ〜? 遅刻だぞ」と言いながら部屋に入ってきた。「何言ってんだ、お前も遅刻だろ」春樹は寝ぼけながらも言った。優はニヤッと笑っていた。
「え? 別に良いよ。一、二時間目出るのダルいし。あちゃー春樹ってば、また目覚まし時計投げ飛ばして壊したの? ぐちゃぐちゃ〜」優は粉々になっていた時計を見ながら言った。春樹は「気付いたら壊れてた」と誤魔化すように言った。
「相変わらず、寝起き悪いんだな〜」と優はからかうように言った。
その言葉に苛立ったのか、春樹は般若のような形相で優を睨みつけた。
春樹はスウェットを脱いで冷えたワイシャツを着た。
「あー冷た〜」と春樹は呟いた。「おまえの態度も冷たい〜」と優が言うと、春樹は
「んなこと言うなら帰れ」と冷たく言い放った。
「ねー、そういや、昨日のアレ、何だったの?」
優は春樹に訊いた。春樹は「さぁ?」と適当に答えて、制服に着替えた。
「なんでおまえがよりによって美人の佐藤に好きですって! なんで? 世界恐慌でも起きたの?! ねぇ!」優はどこか悔しそうに言った。春樹は軽くため息をついた。
「…うっせぇよ、殴るぞ」と言って春樹は眉をひそめて嫌そうな顔をした。
春樹は鞄の中身を確認して、グッと重い鞄を持ちあげた。
「ほら、さっさと行くぞ」と優の背中をドンと押して言った。
「はいはい」優は春樹に促されて部屋を出た。玄関で靴を履き、扉を開けた。
三月なのに、まだ雪が残っている。吐く息もまだ白い。
「さ、さむぅ〜」優が肩をちぢこませて息を吐きながら言った。春樹も肩をすぼめた。

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