梔子いろは

『少女と魔女の七日間。』

《December.23》

「う、んぐ…?」
 気がついたら朝だった。どうやら、紙を丸めながら寝てしまったらしい。両手には、昨日のなごりである赤い紙がしっかりと握らさっていた。
「寝ちゃったのか…。」
 伸びをしようとしたら、肩に掛かっていたらしい毛布がパサリと落ちる。どうやらネルスが掛けてくれたらしい。彼はあれで、とても面倒見がいいから。
「お、起きたのかい?お嬢さん。」
 タイミング良く現れた彼に、聞いてみることにした。
「ね、これ、あなたが?」
 毛布を高く掲げて、問うてみる。
「そうだよ。まだ雪が降ってないとはいえ、十二月だ。風邪でも引いたら大変だろう?」
「…そうね。ありがと。」
 やわらかく微笑んで、素直にお礼を述べた。普段の私からじゃ考えられないことだ。
「輪っかはそれで完成したのかい?」
「えぇ、この辺で止めておくわ。あんまり作りすぎるのもあれだしね。」
「そうか。で、今日は何をする予定かな?」
 いたずらっ子のように、ネルスは人差し指を立てて私に向きなおる。今日の予定、準備はそんなにないはずだ。
「今日はね、今日は買出し。」
「買出し?何の買い出しなんだい?」
「ん、」
 私は、いたずらを思いついた少年のように唇に指を当ててこう答えた。
「秘密。」
 そのままクルリと向きをドアの方に変えて、ノブを回して外へ出た。太陽の光はほのかに暖かく、またぐっと伸びをする。
「待ってて。夕方までには帰ってくるから。」
 小屋の中にいる彼に向って叫ぶようにそう言うと、ステップを踏むように走り出す。今日はあの店に行こう。あそこなら、品揃えも確かなはずだ。


「まったく、お嬢さんは元気だねぇ。」
 若いってのは良い、とネルスは独り言のように呟いた。実際、この家には彼一人しかいないので、独り言に他ならないのだが。そうして、一ページ、本を捲る。内容を頭で噛み砕きながら、ひそかに思った。これほど、周りで賑やかな出来事があっただろうかと。いや、あるまい。魔女として忌み嫌われていた自分が、人間と交わることなど皆無に等しかったからだ。本音を言うと、彼はこの状況をものすごく楽しんでいた。一生出来ないと思っていた経験ができて、気持ちは常に弾んでいた。だが唐突に、この幸せはいつまで続くのだろうと不安になる。クリスマスが終わってしまったら。彼女は自分の家へと戻ってしまうのだろう。そうなれば、自分はまた一人だ。
「ま、一人なんて慣れてるし。別に良いんだけどねぇ。」
 むしろ今の状況がおかしいくらいなのだ。この状況に甘えてはいけない、と言い聞かせる。しかし、彼女の存在に救われているのも事実。
「…駄目だ、何かこんがらかってきた。」
 頭をぐしゃぐしゃとかき回し、紅茶をあおるように飲んだ。とそこで。不意に、何の脈絡もなく思いついた。
「まるで、押しかけ女房だな…。」
 全くその通りなだけに、ネルスは思わずあおった紅茶を噴き出した。


「ふえっくしゅん!」
 誰かが、私の噂をしているに違いない。クラスの連中だろうと考え、こっそり恨んでやった。その顔がすごかったらしく、周りの人は軽く引いている。くそ、これも全部私の噂話をした奴のせいだ。
「娘さん、今日はどんなご用件かな?」
 声がした方を見ると、優しそうな顔をしたこの店の店主が立っていた。
「ジャンさん、昨日頼んでたモノなんだけど…。」
「あぁ、それならもう準備済みだよ。ほら、持ってお行き。」
 一つにまとめてある風呂敷を指さして、老人は微笑んだ。私は少しだけ重いそれを肩に担いだ。…やっぱり重たい。
「しかし、アンタが人に作るなんて珍しいね。彼氏でもできたのかい?」
「…馬鹿言うんじゃないの!あんなのただの…」
「ただの…?」
 ジャンはにやにやとこちらを見て笑っている。あぁ!気に食わない!
「ただの、ただの…変な奴よっ!」
 みるみる顔が赤くなるのが分かって、叫んで店を出てきてしまった。今日は叫んでばっかりだ。そうだ、ネルスは私にとって変な奴。それでいいじゃないか。
「そう、変なの、変なの、変なの…。」
 呪文のように何回も唱えて、キレイに舗装されたレンガの道を歩く。すれ違う人はみな、二日後に迫るクリスマスに浮かれていて、私のおかしな言動にも気付かないらしい。よく見ると、カップルだらけだった。と、先ほどの店主の言葉が頭の中にリフレインされる。
『彼氏でもできたのかい?』
 彼氏なんて、そんなものではない。でも、恋に近い感情を持ち合わせているのを、自分がよく分かっている。
「…もう、一回整理しなきゃ。」
 このままでは、小屋に戻っても毅然とした態度をとれるか分からない。落ち着け、落ち着くんだ。すー、と深呼吸をしてやっと落ち着いた。…これならば戻っても大丈夫だろう。日はもう落ちかけている。早く戻らなければ。
「さ、帰るか。」


 結局ついたのは、とっぷりと日が暮れてからだった。風呂敷包みは重たいし、足もとが暗くてよく見えないわで、もう最悪だ。
「ネルス、ただいまー。…?」
 部屋の中に、男はいなかった。急いでテーブルの上に目をやると、また例の置手紙がぽつんと置いてある。今日は栞じゃなくて、メモに走り書きだ。
《親愛なるアリス嬢へ。
 少し所用でぬける。夜までには戻るから。》
「所用…って、何よ。」
 いつも思うのだが、彼はどこへ出かけているのだろう。プライバシーなのだが、どうしても知りたかったり、知りたく無かったり。あ、やっぱ気持ちに整理ついてないや。
「…いいわ。取りあえず、コレ、しまわなくちゃ。」
 風呂敷を持ち上げて、狭い部屋の小さな床下収納に丸ごと放り込んだ。外はもう暗い。夕方でさえこんなに暗いのだ。夜になんて、戻ってこれるのだろうか。
「早く、帰ってくればいいのに。」
 そのあと九時まで待ってみたのだが、彼は帰ってこなかった。そして私も、眠気の限界が近付いている。結局、ネルスが帰ってくるのを待つことはなく、その日も眠りに落ちたのだった。

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