かねて

ひとつだけでもいい


そうして創られたのが、このシステムであり、装置であり、世界だった。

『言霊の幸ふ国』

言霊の幸ふ国は現実世界に似せて作った架空世界である。
聳え立つ高層ビルも道路を走る車も全て実体はない世界である。設定はほぼ、この世界と同じで、異なるのは夢とは違い五感もあり、加えて先ほど言ったように、言葉によって人を傷つけてしまった場合、痛みとして返ってくるという点がある。しかし、これはあくまで架空世界であり、人の脳とこの装置とを繋げた場合、見る夢でしかない。この世界で刻まれた傷は、現実世界の体に影響せず、脳が『痛み』として認識するだけである。


「いやぁ、実に素晴らしい!この装置は将来的に教育の場で大いに役立つでしょう!」

 この時世、虐めによる自殺が急増していた。学生から社会人まで幅広い層が自ら命を絶っている。
 言霊の幸ふ国は『言葉によって幸せのもたらされる国』という意である。昔の文献で、日本はこの様な名を称されていたようだが、それが事実であるのならば、今の世とは正反対だ。
 言葉に宿る力を知らぬものが暴言を吐き、人を罵倒し、その矛先にいる者は自ら死を遂げる。その連鎖を断ち切るために、この装置を教育課程に導入すると決定した政府が、この世界を創るにあたって必要だった莫大な資金を援助したのだ。
 研究所を訪れた政府の人間が、この装置の実験を見ている。この装置の仕組みを一つも理解していないだろうに、研究員が説明する一言一言にうんうんと頷き、先ほどのような言葉を言っていた。
 実験的に、子供をこの世界に入れ、この装置の実用性を確認する。
 モニタに映るのは、この世界と全く同じ風景。しかし、この世界とは違い、誰もが人を傷付けまいと生きている。穢れた言葉のない世界だ。

 「我々の努力もようやく実を結びました。これで…世界は変わる」

 研究について説明したのは自分ではなく自分の部下だった。自分はその傍らで、呆然と見ているだけだ。
 この実験を見ていると、自分の意志が揺るがされるようだった。痛みによって得る教訓に果たして意味があるのかと。この世界に着たばかりの少年少女は、あの頃見た隣の席の男子のような傷だらけの姿になって生きるのだ。
自分がやっていることは、本当に正しいことなのか。
この教訓は、果たして強制されるべきことなのか。

自分はまるで、彼を自殺へと追い込んだ不良たちのようだ。

http://bungeiclub.nomaki.jp/
design by {neut}