真崎珠亜

一時の、

「オイ」
「もきゃっ!?」
気になってしまったのでなるべく音を消して近付き、その触角を握り締めてやると下から奇声が発せられた。
「いっ、いきなり何するんですか! 居るなら居るとおっしゃって下さい!」
窓から隠れるように窓枠の下で体育座りをしていたそれは、突然のことに驚いたのか涙目で私を見上げながら言ってきた。
「それはこっちの台詞だ。お前の方がこんな所で何をしている。盗み聞きか?」
「ち、違います! ただ用があって呼びに来たんですが貴方が難しそうな顔で剣を磨いているのでつい……呼びにくくて……」
「お前が私に遠慮することはない。…それで、何の用だ?」
生えていた触角(髪)から手を離して訊いてやると、そいつは随分と明るい顔をした。只それだけのことなのに温かな気持ちになるのはコイツ特有の雰囲気のお陰なのだろう。
 そいつは私の手を取って笑った。
「お出かけしましょう!」
「…………は」
あまりにも満面の笑みで言われたからか反応に困った上に遅れた。
「出かける……って、今からか?」
「はい! 今からです!!」
そんな力強く頷かれても困る。
「もう大分日が堕ちてきている。じきに夜も来る。夜道は暗いから危険だ。……大体、どこに出かけるつもりだ」
「あの崖の上ですけど」
そう言って指さしたのは家の裏にある断崖絶壁の頂上。
「……冗談言うな」
「本気ですよ! 以前あそこですっごく綺麗な場所を見付けたので貴方に見て欲しいんです」
「気持ちはありがたいが、あそこに行くには裏の森を通って行かなければならないことを知ってるよな」
家の裏の森は木々が鬱蒼と生い茂っているため中に入れば昼夜構わず暗い。それに獰猛な野犬も生息している。夜になれば更に視界が悪くなるし獣に狙われる確立も大幅に上がる。これから行くには危険すぎるのだ。
「……ちょっと待て。お前以前行った……って、まさか一人で行ったのか?」
「行きましたけど」
言外に「それがどうかしましたか」とでも付いていそうな感じで軽く言われた。……もう溜息しか出てこない。
「あそこは危険だから一人で行くなと何度言ったら分かるんだお前は! 怪我でもしたらどうする」
「もう子供じゃ無いんですから大丈夫です! それよりホラ、早く行かないと本当に夜になってしまいますよ」
「明日の朝でも昼でも良いだろう。何でこんな微妙な時間に行かねばならんのだ」
「朝やお昼じゃ駄目なんです! それに貴方最近部屋に籠もりっぱなしですし、やっと戦場から帰って来たと思えば次の戦いのことばかりですし。……少しは、休んで欲しいんですよ」
フッと手を握る力が弱くなり、眉を下げながらそう言われた。その目は寂しそうに揺れていて……
「……仕方無い」
こんな顔されて、断れる訳が無かった。
「本当ですか!?」
「嘘は吐かん。行ってやる」
「ありがとうございます!」
たったそれだけのことなのにまた嬉しそうな笑みに戻る。何とも表情豊かな顔だと感心してしまう。
「そうと決まれば早く出発せねばですよ! 暗くなる前に上に着かなきゃ駄目なんですから」
「待て。剣ぐらい持たせろ」
急かすように引く手を止めながら私がそう言うと、訝しげな声で問うてきた。
「必要ですか、それ?」
「護身用だ」
握る手を離し置いた剣を拾い上げながら端的にそう答える。流石に素手で獣と闘り合う自信は無い。
「じゃあ行きましょうか」
「一つ訊きたいのだが」
嬉しそうに手招く方へと向かった後でふと気付いた。
「はい?」
「私は窓から出るのか……?」


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