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私と彼が出会ったのは、今から1年くらい前のことだった。
私は2学年の後半に入り、普通に学校に通っていた。
そしてその頃から、私は虐められ始めたのだ。
理由は今も分かっていない。相手は虐めだとも思っていないかも知れない。
何せ彼らは笑うだけなのだから。
元々私はあまり人付き合いが得意な方ではなく、自ら進んで誰かと話すことが苦手だった。中学の頃はそれなりに人と話が出来たが、高校に入り中学の友達とも離れ離れになり、クラスに知ってる人が誰も居ない状態ではこんな私に友人が出来ないのは当然のことだった。
それでもクラス替えが起こる以前のクラスでは、何事も無かったのだ。
けれど2学年の後期になりクラスが変わってから、少しずつ私を取り囲む環境が狂い始めた。
虐め……と言って良いのかも分からないが、そんなことが私の身に降り掛かり出したのだ。
別に暴力をふるわれたり、金銭トラブルがあった訳ではないので一言に虐めと言って良いのか分からないが私にとっては虐めだった。
何故か、私は笑われるようになった。
小さく、クスクスと。
私が何をしたかも分からないままに。
先生に当てられて発言したりするだけで、笑われる。
ただそこに座って授業を受けているだけで、笑われる。
私は彼らと口を利いたことも無いし、ましてや笑われるようなことをした覚えも無い。
それなのに彼らは笑うのだ。
何が可笑しいのか分からない、何が楽しいのかなんて分からない。
それなのに、だ。
最初は気にしすぎだと思って、なるべく我慢してきた。
他のことに意識を集中させて何とかやり過ごしていた。
けれど人というものは、一度気になってしまうとなかなかその深みから逃げ出せなくなってしまうのだ。
一つ気にし始めると、嫌でも芋蔓式に次々と聞きたくも無い声が入ってくる。根も葉もない噂まで耳に届く。
私の何がいけないのか。最初はそればかり考えていた。
しかし自分で何とか改善しようと努めても、現状が変わることは無かった。
そして私は担任に相談してみることにしたのだ。
口下手な私なりに、自分がどれだけ迷惑しているか懸命に伝えたのだが、担任の返事はこうだった。
『分かった。こっちで出来るだけなんとかしてみるから安心しろ。……ところで、お前に何か心当たりは無いのか?』
つまり、笑われる原因は私にあるのだと。担任は暗に私にそう言ってきたのだ。
そしてそれから数日、数週間待ってもその状況が変わる事なんて無かった。教師という存在なんて何の役にも立たないことをあれだけ実感させられたことは無い。
それでも私は数ヶ月耐えた。長期休暇を挟めば少しは落ち着くだろうと思っていたが、現状は悪化の一途を辿り続けた。
そして遂に耐えきれなくなり、遂に親に相談してみたのだ。
両親は普段仕事で忙しく、あまり面と向かって会話するなんてことは無かった。そこでも私は自分が学校であっていることを懸命に話し、もう行きたく無いと泣き付きまでした。
けれど、両親の応えは私の思っていたものとは真逆だった。
『そんなの気のせいに決まってるじゃない。あなたは昔から思い込みの激しい子だったから、きっと何か勘違いしてるだけよ』
『自分で選んだ学校だろう? なら泣き言言わずに最後まで行き続けなきゃ駄目じゃないか。それに世の中に出たらもっと嫌なことなんか沢山ある。……そんなことで、忙しい私達を困らせるんじゃない』
それで私は不登校になる訳にもいかず、教室に行けば笑われ、授業をサボる訳にもいかないから保健室に逃げ込むことも出来ず、家に帰っても安らぎが有るわけでもなく。
絶え間ない苦しみの毎日の中で、私の心は急速に病んでいった。
元々脆弱な精神しか無かった私の心は簡単に壊れ、もう泣くことすら疲れ、面倒になり、涙腺が壊れたのか涙なんか出てこなくなっていた。
ふとした狂気に駆られて何度かカッター片手に手首を軽く切ったこともあった。そしてそこから流れ出る赤を眺めて、自分が生きてることを実感し、安心して、何故生きているのだろうと不思議にも思った。
笑われる私が悪いのか、笑う奴らが悪いのか。
怪しい呪術や、いっそのこと殺人に手を染めてしまおうかなど考えたが、私にはそんなことをする勇気は無かった。自暴自棄になって薬や酒に手を出してみようかとも考えたけど、やはり出来なかった。
そして私は悩みに悩み、やがて一つの結論に辿り着いた。
『…………そうか、私が居なくなれば良いんだ……』
そうすれば笑われることも無くなる。笑う奴らも居なくなる。
その時の私には、それが一番の良策に思えたのだ。
さて、そうと決まれば後は手段を探さなければならない。
何度か手首を切ったことはあったが、あれは痛みを伴うし、きっと直ぐには居なくなれない。そもそも誰にも見付からず出来るか不安だ。
あれは痛いからこそ自分の生が確認出来るのであり、その時の私には生の実感なんて全く不要だった。
出来ることなら痛み無く、それでいて早く、簡単に終わって欲しい。
私の思考を支配するのはその一つの事だけだった。
練炭……は、やれるような場所が無いし準備が面倒そう。
絞首は……時間掛かりそうだし途中で見付かったら嫌だな…。
線路の上に寝てみるとか……駄目だ。誰かに見付かる可能性が高い。
睡眠薬はどうだろう? ……これも駄目だ。今は薬局じゃそんなに買えないしネット販売も自粛してる。それにもし残ってしまったら後遺症が出るだろう。…それは嫌だ。
硫化水素はどうだろうか? 簡単に手に入るし混ぜれば良いだけ……やっぱ駄目だ。手間は簡単だけどあれは二次災害が酷いし、結構苦しいってテレビで言ってた気がする。
それならお風呂で沈んでみようか。それなら準備なんかいらないし家で簡単に出来る。うん、良いかも。……でも、意識を手放すまで湯の中で耐えられる気がしない。それにあれは事故で溺れてしまうことの方が多いのだ。故意で、しかも一人で簡単に出来る事じゃない。
青酸カリ…ってよく聞くけど、一般人の私に早々手に入る物とは思えない。
いっそのこと刃物で喉か心臓を掻き切るのが手っ取り早い気がしてきた。有難いことに洋包丁やカッター等、この世の中には刃物が当たり前のように置いてある。私でも簡単に手に入れられる。簡単に扱える。
ある日、私は暗い部屋の中でカーテンも閉めずに床に座っていた。
時刻ははっきりと覚えていないけど、もう日付が変わってから数時間は経っていたと思う。夜の11時頃から閉じ籠もって、今までずっとそのままだった。薄暗い闇と薄気味悪い静寂だけが私を包んでいた。
右手には工具箱から出した厚紙を切る際に使用するような太いカッターナイフ。私はそれを、小さな子供がするようにただグーで握り締めていた。
刃の出ていないカッターは、窓からの月明かりを浴びて煌々と光っていた。そんな様子をぼんやりと眺めながら、月明かりってこんなに眩しかったんだ。等と私はどうでも良いことを考える。
ゆっくり、ゆっくりとカッターの刃を押し出していく。チキチキチキ…とカッター特有の音が静かに鳴り渡り、先端から鋭利な刃先が少しずつ頭を見せ始めた。
長さにしておよそ五センチ。長過ぎるかとも思ったが、躊躇わないようにするにはこれくらいが丁度良い気がした。
ここまで来てしまえばもう覚悟するしかない。
嫌なのだ、何もかも。
もうどこに居ても辛い。味方はどこにも居ないのだ。
私は両手でカッターを握り締め、強く目を閉じて喉を反らした。
そして、祈りにも似た姿勢のまま強くカッターを引き寄せ――――