真崎珠亜

追憶の残滓

 『何をしている』
――――――たかったのだが、不意に飛んで来た声に驚き、体を捩って手すりにがっしりと掴まってしまった。
 まさか警備員でも来たのか、と思いドアに目を向けた。
が、そこには誰も居なかった。
 空耳……にしてはやけにハッキリと聞こえた気がするけれど…まぁ、気のせいなら、良いか。
 そして私はもう一度決心する為に前へ向き直り、

 逆さまの男と目が合った。

 『〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!?』
私は生まれて初めて、声にならない叫びを上げた。
『あ、視えてる? 良かった。声に反応してくれたからもしかしたらと思ったけど……。って大丈夫?』
まさに目の前の逆さ男はくるんと天地を逆転させ、へらっとした笑いを浮かべながらそんなことを訊いてきた。
 もしか…しなくても、これは……。
『幽……霊…?』
『ご名答。いやー、初めてだよ僕と会話出来る子なんて』
確かに幽霊以外でこんな何も無い所に浮遊できる者が居たら、その人は即座に奇術師になることをお薦めする。…って、そんなことより。
『はいはい、ここは危ないんだからさっさと戻った戻った。落ちたら大変だよ?』
『私は落ちたくてここに来たんです!』
今までの緊迫した空気が一転し、何故かほのぼのとしてしまった。
 この幽霊は何を言っているんだ。幽霊っていうのは普通もっと被害者増やしたりするような根暗で陰険な存在じゃなかった? 何で助けようとしている?
『あーはいはい。若いんだからあんま無茶しちゃ駄目だよー』
そいつは訳の分からない事を言いながら、私を引っ張り上げた。
というか、そいつの触れた部分が凄く冷たく、氷で出来たロープか何かに無理矢理引っ張られた感触がした。
『なっ、何するんですか!』
『君こそ何してるの。良い子はもうお家に帰ってる時間だよ』
 ここまで恐怖を抱かない幽霊というのも珍しい。私自身、幽霊なんてモノに出遭ったのは初めてだが、こんなにも人間らしくていいのか。
いや、元々は人間なんだから良いんだろうけど。
『私はもう全部嫌なんです。学校も、家も、私も! ほっといて下さい!』
『いやー…、出来たらそうしたいんだけど…』
『じゃあそうして下さい!』
私は驚きの所為か、普段ではありえないような怒鳴り声で会話していた。しかも、初対面の相手に対して。
しかし彼はさして気分を害した訳でも無く、へっぴり腰で屋上の冷たい床に座り込む私の顔に、手を伸ばしてきた。
 怖い!
私は反射的に、目を瞑っていた。


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