――――寸での所で停止した。
あと少し、ほんの数ミリ動かせば刃先は喉に突き刺さる。しかし、石にでもなってしまったかのように私の手はそれ以上動いてはくれなかった。
次第に手が震え始め、耐えきれなくなったのか、するりと手の間からカッターが滑り落ちた。それは奇跡的に私には当たらず、そのまま床の絨毯へころりと落ちた。
私は自分の不甲斐なさに泣きたくなった。
もうこれ以上は耐えきれないと心は泣き叫んでいるというのに、頭の理性が邪魔してくる。
まだ、ここに執着したいのか。
私だって分かってる。この選択がただの『逃げ』であるということくらい。悲劇の主人公を気取って、嘆きながら終わりを告げるなんて馬鹿げているということくらい。
私は悲劇の主人公などにはなれないのだ。
ここで私の人生に別れを告げていたのなら、少しは私を取り巻いていた世界が注目してくれただろう。単なる気違いの犯した凶行だと思い嘲け笑ったかも知れない。それでも少しは、私の人生を哀れんでくれたかも知れない。自分の行いを悔いてくれたかも知れない。
けれど、私にはそれすら叶わない。
私の心はとても弱くて、脆くて、すぐに壊れてしまうくせに大事な決心をしても一歩手前で踏み止まろうとする。
優柔不断で、不完全。
人間らしいといえばらしくて、笑えてしまう。
私は泣きたい筈なのに、口元は歪んだ笑みを浮かべていた。
涙は出ない。出てくるのは、喉の奥から這いずり出てくる渇いた笑い。
私は人が嫌いなのに。人なんて、嫌いなのに。
人は私を笑う。強者には弱く、弱者には強い。
それで遊ぶのが面白いと知ってしまえば、同じ人間すらもオモチャにするような、最悪の生き物だ。
だけど、私も同じその人間なのだ。
私は虚ろな思考のまま、床に転がっているカッターを手に取った。
そのまま左手の袖を捲って、手首に巻かれている包帯を外す。
幾重にも薄く刻まれた傷痕の上に、いつものように緩く刃を当てて軽く引いた。
薄く刻まれた新たな傷口から少しずつ赤が染み出して来たかと思うと、それは直ぐに腕へと伝う程になった。
私はそのまま、その腕を月明かりへと照らしてみた。
青白く光る腕を彩るように滑り落ちる赤が綺麗だと、思った。
鈍い痛みと、生温かな色彩。
私はそれを見る度に、生きていることを感じる。
どんな人間でも、血は赤いし温かいのだ。……生きている限りは。
私の血はまだ真っ赤だ。それに生温い。
それで私は生きていることを確認する。
こんなことをするということは死を願う反面、生に縋り付きたいのだろう、私は。
『……馬鹿みたい』
渇いた喉から私はそれだけ言うと、温かな鮮血が絨毯に滴り落ちる前にさっさと机から消毒液と包帯を持ってきて事後処理をした。もう、手慣れたものだった。
常に袖の長い服を着ているので、誰かに見付かったことは無い。
それが良いことなのか、悪いことなのか、私には分からなかった。