真崎珠亜

追憶の残滓

 そしてその数日後の話になる。
 私はいつも通り鬱々とした気分で学校へ向かっていた。
その日は、朝から具合が悪かった。風邪でもひいてしまったのか、頭痛と吐き気が酷く朝から何度も学校を休もうかと思った。
しかし、熱を計ってみると平熱より少し上の程度だったので、母は私を学校に行くように言った。
言われた矢先に反論するわけにもいかず、熱もそんなに無いので早退を条件に私は学校へ行くことになってしまったのである。
 私を取り巻く世界は相変わらず歪んでいたが、それでも私は堪え忍んでいた。辛くとも、苦しくとも、弱音は吐かなかった。
 午前中は頭痛が酷かったが、何とかなった。こんな状態で授業を受けていても意味があるのだろうかと思ってしまうが、テストを近くに控えているので折角学校まで来たのだから、なるべく休みたくは無かった。
 食欲があまりにもなく、昼食には一口も手を付けなかった。
 そして、午後。
やっと最後の授業も終わりに近付いた頃、私の体は限界に近付いていた。頭の中で大鐘が突かれているように痛み、視界は霞み始めていた。熱が出たのかもしれない、と思った。
 けれど授業はあと五分もしないで終わるのだ。今更保健室に行こうと思っても遅い。大体、私が何かしようとすると笑われるから、嫌だ。
 あと3分、2分、1分……。
私は只管時計の秒針を見つめていた。もう授業どころではない。
鐘がなったらすぐに帰ろう。ショートホームルームなんてやってられない。
そんなことを思いながらいると、シャーペンを戻す際に手が触れてしまい、消しゴムが転がり落ちてしまった。
 それだけのことなのに、私の近くの席の奴は笑った。ただ、それだけのことなのに。
 気持ち悪い……。
 私は消しゴムを拾うために、屈んだ。
耳にはクスクスという笑い声が連鎖したように、何度も何度も重複して聞こえてくる。
 き持チ悪い……。
 クスクスと、小さな笑い声。何が楽しいのか、何が可笑しいのか分からないけれど、耳に入り頭の奥で何度も何度も幾つも幾つもの声が、壊れたスピーカーのように雑音混じりで響く。
 気持ち悪い気持ち悪イ気もちワルいキもち悪いキモち悪ィ気もちわるい気もチ悪イキ持チわルいきモちワるイ気持ち悪ぃ気持ち悪い気もち悪いキ持チ悪い気持ち悪い気もちわるいキモチワルイ気モちワるいきもちわるい…………
 私は消しゴムを取るために、手を伸ばした。

 途端、胃の中身が逆流した。

 『―――――――――うげぇっ!?』
 先ず聞こえたのは、隣の席の男の声だった。
私は反射的に口元を押さえていたが、指の隙間から胃液が溢れ出す。
昼食時に何も食べていなかったのがせめてもの救いだった。
周りが何事かとざわつき始める。私は動くのが嫌で、背中を丸めたまま口元を押さえて震えていた。
 止まらない吐き気、口の中に広がる酸味、漂う独特の刺激臭。
『センセー! ちょっとコイツヤバイって!』
みんなが引いてるのが分かる。遠くから微かに笑い声も聞こえる。
 嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!!
 と、不意に授業の終わりを告げる鐘が響いた。
 それが聞こえた途端私は口を押さえたまま跳ね起き、近付いてきていた先生を張り倒すとそのまま教室を飛び出した。
誰かが何か叫んでいたような気がしたけど、気にしている場合では無かった。


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