『おぇっ…、けほ……が……っ』
私は気が付くと、洗面台に向かって吐き続けていた。
といっても、もう胃酸すら出尽くしたのか、出てくるのは掠れた声と終わらない吐き気だけで、これ以上やったら血痰でも吐きそうな気がしていた。
数分か、数十分か。
やっと吐き気が収まった頃には立つ気力も無くなったのか、洗面所に縋り付いていた手が離れてずるずると滑り落ちた。
口をゆすぐ気力すらない。口の中は相変わらず不快な胃酸の味でいっぱいだった。
それでも這うように体を動かし、何とか手近な壁に寄り掛かるとやっと一息吐いた。
それからしばらく呆然と霞む視界で周りを見渡し、ふと思った。
……ここはどこだろう?
無意識の内に人の居る所を避けたのか、私の目の前には全く知らない景色が広がっていた。大抵学校ならばどこにいても聞こえそうな、放課後に戯れる生徒達の声すら聞こえない。
緩慢な動作で首を横に巡らすと、横には重たそうな茶色の鉄扉が構えていた。そのドアノブには白い板に大きく『開放厳禁』の文字がぶら下がっている。
……屋上かぁ……。
それを見て私はそう思った。何故こんな屋上の目の前に水道があるのかと言うと、昔この学校の屋上にプールがあったらしく、その名残らしい。今は地上に新たなプールが作られ、屋上のは埋め立てられたらしいが。
何故こんなマニアックな場所に来てしまったのだろう。屋上が開かないことは知ってたし、行ってみたいと思ったことすら無いのに。
以前プールの話を聞いて、ここに水道があることを覚えていたのだろうか。それで人気を避けるうちにこんな所に来てしまったのだろうか。
この階段の下は碌に使われていない国語科準備室と数学科準備室があるだけなので、人気が全く無いのも納得できた。
自分の居場所を理解したのは良いが、これからどうにも出来ない事態に私は陥ってしまっていた。
荷物は置きっぱなしだが教室には戻れない。みんなの視線が怖い。
あんなことをした後だ、きっとみんな笑っているに違いない。きっと裏で「ゲロ女」とか言われるに決まっている。今でさえ不名誉な渾名があるのにこれ以上増えているのを聞きたくはない。
だからと言って手ぶらで家に帰るわけにはいかない。けど、教室には行きたくない。
私はその二つの思いに挟み込まれていた。しかもそうして考えていくうちに、またも吐き気がぶり返してくる。
結局私は全てを投げ出し、しばらくその場でぼんやりとすることを選んだ。
人気が無く、しぃんと静まりかえったその空間が私にはとても心地よかったのだ。
壁に寄り掛かったまま足を折って体育座りの体勢をして、膝に顔を埋めた。
そうすると私の目の前は真っ暗になる。
こうして一人で居ると、いつも考えたくもないのに嫌な思考が働く。
どうして私なのか。
こんなに広い学校で、クラスには40人近く居るのに、それでも何故私なのか。私が奴らに何かしたか。何故、今まで何も無かったのに急にそんなことになったのか。何がいけないのか。
笑う奴らか、笑われる私か、何もしない傍観者か。
世界なんて理不尽。誰も私を助けてくれない。
私が何もしないからいけないの?
けれど何もしていなくとも笑われるのだ。事を起こせば、きっと更に酷くなるに決まってる。
もう嫌。全部、全部嫌い。大嫌い。
世界も、奴らも、みんなも、人間も、私も。
全部全部、消えてしまえば良いのに……。
そんなことを考えているとまた熱が上がってきたのか、思考は徐々に途切れ、やがて深い闇に飲み込まれていった。