常陸

カエシテ

「先輩、事故みたいです」

「本当か」

僕は運転席であるためか一番早くその事故に気が付いた。事故が起きていたのは短いトンネル。山間にあるトンネルだから幾らか暗くはなっているが視界が不明瞭というほどではない。

「衝突事故・・・」

誰かが呟いた。事故が起きているのだから片側車線になっており、僕はスピードを落として走らせた。事故車両のとなりを抜けるとき不意に生暖かい、湿った空気を感じた身震いした。

「大丈夫ですかー」

なんとも間抜けな声を出すのはチャラ先輩。知らないうちに窓を開け事故を起こした当事者たちに話しかけていた。先ほどの生暖かい風はその所為だったのかと思った。

 事故を起こしたのは中年男性と若い女性。何故このような時間に一見サラリーマンである中年男性が、そして僕たちと同じくらいの女性が居るのだろうかと思った。

「大丈夫です。救急車、呼びましたから・・・」

中年男性は頭部から尋常ではないような血を流しているというのに笑っており、女性は血塗れで、何故か下半身がなかった。前方に視線を走らせるとその疑問は直ぐに解決した。事故車両はボンネットが完全に潰れていた。暗闇でもわかるほど何か赤いような液体が飛沫していたがおそらくそれは彼女のものであろう。それを視た瞬間胃の腑がせり上がってくる感じがしたが堪えた。そして彼女の隣を通り抜ける時に聞こえた声。おそらく彼女が発していたのだろう。しきりに何か堪えるようで、憎み、恨む様でもあって底冷えするような声だった。呟きは小さすぎで正確に聞き取れたかどうかは定かではないが、カエシテ、と聞こえたと思う。それが何に対してなのかは解らない。家に帰してなのか、足を返してなのか。いずれにしろ彼女にしか解らないが。

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